わたしの おとうさん【掌編小説】
※文字数2,402字。
作品はフィクションです。
私は父性を知らない。男親がいるって凄い、といつも妬んでいた。父は物心ついた小学1年には この世にいなかったから、普通に凄いと思ったことは今までずっと続いている。
私は父に成り代わる存在をずっと探していたんだと思う。父親みたいな大きな存在・・・私にとっては今の彼氏である同い年の井上 恭(やすし)君だ。
二十歳になるまで彼氏が出来なければ淋しすぎて死ぬ、と思っていた10代最後の日に告白されて付き合うことになった。ヤスシは「今日から俺はお前の父親と彼氏の二刀流だから」と臭いセリフを吐いてきた。
付き合って初デートはヤスシの実家だった。
母親とずっと二人暮らしだった私はヤスシの家庭環境に羨望感しかなかった。優しそうな両親と二人のお姉さん。みんな優しく接してくれた。二人の姉はヤスシよりも一回り以上年上だろうか。やたらと落ち着いて見えて、何か安心感を抱いた。ヤスシは末っ子のお坊ちゃんという風に見えた。そんなヤスシのお父さんの肺がんが発覚したと聞いたのは、初デートの翌日だった。
「えっ、あんなに健康で、そんな風には見えなかった」
電話口の先で驚く私の前でヤスシは気丈だった。私が動揺すればするほど彼は無理に落ち着こうと努めていたように見えた。
翌朝、体調の異変に突如襲われて緊急入院した。お義父さんは、薄々不調に気づいて私に会ってくれたのだろうか、と思うと切ない気持ちになった。と言うか、私を自宅に招こうとした家族の誰かは肺がんのことを知っていたのだろうか。いやいや、そんなはずはない。井上一家にとっては、青天の霹靂だったに違いない。
それ以降、病院へのお見舞いは頻繁に通った。お義父さんはひたすらに優しかった。私はまだあまり人となりが理解出来ていなかったが分け隔て無く接してくれた。
「今日子さん、このフルーツ食べて元気出してね」
自らが大変な状況にも関わらず、リンゴやら桃やらを袋一杯に詰めて別れ際にお土産と言っては渡してくれた。そのフルーツが置いてあるベッドのそばにはタバコやら焼酎の瓶が置かれていた。そのうちに私も思わず心を開いて、本当の父親のように接するようになっていった。
「お義父さん、タバコとお酒は少しは控えてください」
こう言うと、本当の娘に言われているようだと笑った。いや半分くらいは本物の娘みたいなものだった。
「今日子さん、ヤスシを頼むね」
来院の度に何を託されたのか分からないまま、私はいつも頷いていたと思う。やたら甲高い声で笑顔のお義父さんはその一言が言いたかっただけなのか、それとも何かを確かめたかったのか。誠実で真面目な人柄はヤスシに似ている気がした。そんな時決まって彼は隣でうつむいて、こちらを見ていなかった。
その後何回目かのお見舞いだったか、お義父さんの容態は急変した。病室にはお義母さん、二人のお姉さん、ヤスシと私がいた。がん細胞が身体の至るところに転移しまったようだった。
「今日子さ・・・ん」
私の名前だけははっきりと聴こえていたが、それ以外は言葉にはなっていなく、苦悶の表情をただ見つめるしかなかった。
「手、手を」
こう言っては、私に手を握って欲しいと懇願してきた。私は思わず泣きながら左手を差し出して手を握ろうとした。すると、私の薬指だけを指先でなめるように触れてきた。ほのかに生温かかった。触れた途端に私の指に、自分の指で作ったリング状の輪を通した。悲しみの淵にいた病室の皆が笑顔になった。意識朦朧としたお義父さんは、二人のことを気にしていた。私は、亡き父の最期が脳裏から甦ってきた。
「オヤジ、俺たち夫婦になるから!」
「えっ」
私はプロポーズなのか、何なのか分からないヤスシの一言に思わず頬をつねった。痛い。まだ会って間もないお義父さんの容態が危険なことも、今のヤスシの一言も全ては本当なのだ。今、この空間で起こり得る事実を受け入れる義務を私は背負わされていた。
その数分後にお義父さんは帰らぬ人になった。病室にいる全ての人が、覚えていないくらいひどく悲しみに暮れた。
数ヶ月後、お義父さんは夢に出てきた。
確か私の名前を何度か呼んでいた。あの甲高い声で。
なぜか病室で二人きりで話していた。
「今日子さん。ヤスシを頼むね」
(いつものセリフかあ・・・)と私は半ば、病室の窓のほうを見た。
「それより、お義父さん。タバコとお酒は隠したら駄目よ」
私はそう言ってから、ベッドの付近にあるタバコと焼酎を取り上げてお義父さんにほらと見せた。
「もうしばらくしたら私は死ぬかもしれない」
そう言うと、淋しそうな表情をした。
「医者からそう言われているんだ」
私はお義父さんは知らないはず、と訝りながらも、うんうん、と頷いていた。夢だと分かっていたから、適当に答えたのか、はっきりとは覚えていない。
「今日子さん。本当に幸せになってくださいね。温かい家庭を築いてください」
私はまた頷いてから、急に実の父を夢の中で思い出していた。『実父みたいなお義父さん』が、実の父親に見えたのである。義理の父と夢の中で会ったことで、積年の夢を叶えてくれたのだ。本当の父と夢で逢いたい、ということを義理の父は知っていたかのようだった。
そうして朝、目が覚めて挙式場に向かった。
「今日子、ウェディングドレス本当に似合ってるよ」
そう言われた私は、ヤスシを見つめた。
「お義父さんに自慢したかったでしょ。キレイな嫁みつけたよ」って。
ヤスシは少し淋しそうな表情をした。
「今日子! 一日泣かないって決めたんだから、そんなことは言わないの」
「私も、自分のお父さんに見せたかったなあ・・・。ウェディングドレス姿」
そう言うなりヤスシを全力で慰めるように、遠くを見つめるふりをした。
私達はしばらく無言になって鼻をすすっていた。ズズー、ススー、ズズー、という音は狭い控え室で大音量となって響いていた。
【了】