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頭の中には夢がある【掌編小説】

 話している言葉は物語になる。生きていること、即ち物語の上を歩いていること。食べたり、寝たり、人を好きになったり・・・息をしたりもそう。全てが私になる。
 例えば、空想をする。こうなりたい、ああなりたい、これをしたい。全ては真(まこと)で今の自分の生の姿。
 特筆すべきは、好きだったあの人と一緒になれなかったこと。こい願わくば、一つになりたかった。叶わなかった夢。君は若かった。いや、只一人私が幼かったのだ。
 「大好き」と書かれたラブレターには煌々とハートのマークが散りばめられていた。君は覚えているか。私が好きだったことを。

 初めてすれ違った大学の図書館。君は三島由紀夫の『仮面の告白』を指先で捕らえていた。
 見知らぬ君に無性に声を掛けたくなった。
 「この小説いいよね」
 君は驚いた表情で僕を見る。
 「私この小説を読んで、人間が嫌いになったんです」
 疑心暗鬼になった。なんで、そんな絶望を抱いた書物をまた求めるのか。それとも、彼女は変人なのか。
 「私は生まれつき天涯孤独なの」
 僕は妙に納得した。途端に、その場で彼女を抱きしめたくなった。
 物語、特には小説は人の救いになることがある。そんな特別な力を持っている。
 「そんな寂しそうな表情をしないで」
 何の責任も無い僕は、無責任に彼女に言葉を掛ける。
 「私って、生きる意味ある?」
 「そんな人はいない!」僕は断言した。
 「たった一回の人生、生きる意味が無い人なんていない!」
 授業の終わりを知らせる合図が鳴った。
 僕も彼女も、たまたま講義の合間に図書館に来ていたんだな。ふと、今の状況を思い出す。
 「次、講義は入っている?」
 「ううん、入っていない」
 自然に尋ねた僕に君は答えた。
 ふと、時計を見ると11時30分になっていた。どうしようか。このまま何も無かったふりをして彼女の元を立ち去るか。LINE交換をするか。はたまた、食事にでも誘うか・・・。
 彼女のほうをチラリと見た。
 彼女は書棚を見て、何かを探している。たぶん、全く僕には興味がない。いや、単に異性に興味が無いのか。ということは、これ以上は触れないほうがいいのか。それなら、悲し過ぎる。こんなに優しく接したのに。いや、ただ迷惑な奴だと思われていただけか。
 君は「じゃあ、私・・・」と、後ろを振り返った。
 「あっ、俺・・・」華奢な後ろ姿に、勇気を振り絞る。
 「えっ」
 「携帯電話持っている?」
 いや違う。
 「持っているけど。何?」
 「ええっと」
 「だから何?」
 「また、話がしたいです」
 必死の懇願に似た精一杯の思いだった。
 「私、三島文学好きじゃないけど・・・」
 「俺も!」
 じゃあ、このシチュエーションは何だったのだろうと一瞬考えた。でも、彼女といると不思議な気持ちが沸いてきた。今はどんな感情かは分からないけれど。この不思議な感情というものが何なのか分かるまで彼女と話がしたいと思った。
 「何か、さっきからお腹鳴ってるよ」
 彼女は聖母のような優しい表情で俺を笑った。
 それを聞いて俺も赤面した。
 「携帯持っているよ!」
 図書館を出た途端に何かをアピールするように、キティーちゃんのストラップを掲げて彼女は笑っていた。

【了】 




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