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海外旅行帰りの天むすは至福
日本を飛び立つ時、そして日本に降り立つ時、我ら倭の國の民は内に潜む大和魂に誘われ魅入られたかの様に米を求めてしまう。大正七年の米騒動に始まり、ジパングに居住する我が民達はある種の麻薬かの如く米を欲してきたのである。
ただでさえ魅力的な米と海老の天ぷらのシナジーについては察しのいい読者ならもうお分りだろう。ここでピンときていない読者は第二巻の荒木と井端のシナジーに関するエピソードを今一度見返してもらいたい。ほどよい塩加減と海老の旨味が口いっぱいに広がると言ったら少し言い過ぎになるのだろうか。とにかく美味しい。この天むすを食べるために海外旅行に行くと言っても過言ではないとは言い切れないだろうか?否、言い切れると私は自信を持ってここに断言できる。もし私がキリスト教信者であるならば、すなわちキリシタンであるならば今ここで胸の前で十字を切っても構わない。もしくは、仏教徒であるならば「南無阿弥陀仏」と唱えるのかもしれない。私はこの南無阿弥という網でいつか海老を捕まえたいと考えている。