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ゲイカップルを描くなら。


コロナ禍に見た「スーパーノヴァ」

2021年秋、ある映画を見たくて劇場に向かった。
コロナ禍真っ最中のあの頃。どうしようか迷ったが映画館はしゃべらないしと思い、田舎のミニシアター系の作品をやっている小さな映画館に行った。
平日の午後、客は中高年の客が点々といるぐらいだった。
見たかったのは「スーパーノヴァ」。
名優・コリン・ファースとスタンリー・トゥッチ共演の感動作。
二人はゲイカップルを演じその愛の終わりを生まれては消える星の命になぞらえた作品だ。
悪くはなかった。確かに美しい愛の終わり。
名優達の演技はケチのつけようもなくコリン・ファースは相変わらずかっこいい。
ただピアニストと作家のゲイカップルという設定が妙に引っかかった。
そんな綺麗に綺麗に描くだけならゲイカップルである必要とあるのかとちょっと思ってしまった。
設定にケチをつけだすとキリがないし作品の本筋とは違う気がするけれどそんなことを思った。

山谷や釜ヶ崎にもゲイはきっといるだろう

日本で大人気になった某ドラマの主人公も都会の上澄みゲイカップルが描かれている。
あんな両方かっこよくてそれなりの職に就いてて箸休め程度にゲイの不幸が訪れてそれでも楽しく毎日充実しててみたいな。
あんな能天気な上物ゲイカップルがどんだけいるんだ、マジでと思う。
大体ゲイはアーティスト指向が強いみたいなのもある意味のステレオタイプでいい加減もういいだろう感がある。
ゲイを悪く描けないからなんだろうか。
汚く描けとは思わないが、そこを排除して何かうまみあるかとも思う。
山谷や釜ヶ崎にもゲイはきっといるだろうとなんとなく田舎のゲイだって想像はできる。
日雇いで日々をやっと暮らしているゲイだっていくらでもいるだろうって。
美しく身綺麗に描かれれば描かれるほど生きにくくなるような気がしている。

イビツさを描かずして何がゲイカップルだ

いびつさをもっと大切にしてほしいと思うんだな。
ゲイカップルを見た時のいびつさをストレートだって感じているはずだ。
それをその感覚を表してほしいんだなぁ。
まぁあんまりストレートに嫌悪で表されても困るんだけど。
いびつさを排除して排除した先にあるのはBLだよ。
そういうのが悪いって言ってんじゃない。
そういうのもあっていい。BL好きのゲイだっているし。
あっていいけどそればっかりになるのは違う。
わからないと一面的になるのは当然の流れだけどさ。
なんと言葉で言い表せばいいのかって感じ。

一例として~こういうことなんですよ

これですよ、こういうのなんですよ。と言いたくなるゲイカップル例をYouTubeでたまた見つけた。

J:COMチャンネルで3月に放送されていたらしい特番の男二人。
小山薫堂と速水もこみちのカップル。
適当な男二人くっつけて妄想してお前のやってることBLそのものじゃんとか言わないでほしい。わかってるし。
お前が小山薫堂を好きなだけだろうとかも言わないでほしい。わかってるし。
このよくわからないBSとかケーブルとかの謎キャスティングの味わい深さよ。
もこみちは僕と同じ1984年組だけどいい大人になったなと思う。
やんちゃなもこみちとインテリメガネの小山薫堂。
このアンバランスさがいいなぁ。う~妄想がはかどる~。
この微妙な年の差とこの微妙な褒め合いの空気もゲイカップルそのもののいびつさだわ。
何が言いたいのかわからなくなった。
一番言いたいのは僕が小山薫堂を好きなこと。
ではなくおいしいところを捨てないでほしいということだ。
肉でも魚でも切り落としの中にうまみは詰まっている。
いびつさを排除したゲイカップルに僕はうまみを感じない。
そういう人間もいるということを記しておきたい。

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