遥かなるレインボーフラッグ。
延岡より遅い大分のレインボーパレード
11月23日、大分で初めてのレインボーパレードが開かれた。
と、言っても僕はネパール人に会いに行っていたのでもちろん不参加。
まぁ例え大分にいたとしても当事者のくせに傍観者のようにパレードを見ていたかもしれない。
大分のレインボーパレードはあの延岡より1年近く遅いらしい。
旭化成の企業城下町で大分から見ても陸の孤島感が強い延岡より遅いということが何より大分の荒野っぷりを表していると思う。
日本で一番イベントの類が盛り上がらないであろう県民性の大分という土地。レインボーフラッグを掲げることも人の視線に晒され街を練り歩くことも大分で生まれ育った僕の中にはそういう部分が一切ない。
大分は田舎特有の閉鎖感プラス工業都市のドライ感も強くある気がする。
外から来た人もそんな印象を受けるのではないかな。土地自体は悪くないけど、住んでる人間は自分含めてそんなあったかいだけの田舎ではないと思う。
頑張っている人の足を引っ張りたくはない
カミングアウトもしていないクローゼットなゲイがほとんどであろう大分でこういうイベントをやるということは他都市と比べ数億倍大変だっただろうことはこの土地に住んでいるものとして想像に難くない。
尽力したすべての人に敬意を表したい。本当に。
自分のような非協力的な人間が多いから日本は変わらないんだろうなという気がするしそれはわかっている。
でも、僕はパレードに参加したいというような気持ちになったことは一度もない。それはそれで正直な気持ち。
とはいえ、頑張って活動している人たちの足も引っ張りたくない。
そういう人達が踏ん張って来てくれたから今の状況もあるのもわかるから。
都合よく当事者として語ってみたり関係ないような傍観者になってみたり自分のような人間が一番卑怯なのではないかとも思ったりする。
遥かなるレインボーフラッグ
最初にレインボーフラッグが広まってきたときになんかすごく取ってつけただけのような気がしていた。最近だと急にブラックフライデーが輸入されてきたみたいになんでこの色なのかとか何の経緯もわからずにそのまま海外から持ってきているみたいな感じがすごく嫌だった。
だから誰も読んでいないかつてのTwitterで「日本のレインボーフラッグが空虚に見える。それは自分達でいちから勝ち取り手に入れたものではないから。日本は日本のレインボーフラッグを勝ち取らなければならない。」みたいなことを偉そうに描いたことがあった。
それをおそらくフォローしてたからだと思うんだけど、ジャーナリストの北丸雄二さんがリツイートしてくれた。
僕はそれがうれしかった。ちゃんとそういう海外のLGBTの歴史を学んできた人が少しはその想いに共感してくれたようで。
これはこれであっていい想いなんだって思えたような気がする。
とにかく九州の田舎に住んでいてレインボーフラッグは遠すぎる。
二丁目だって堂山だって遠すぎるのだ。
僕の中にある虹は
僕の中にある虹はいつか別府湾で見た虹。
弱い雨が上がって雲間から光が差し込んで生まれた儚い虹。
実態があるようなないようなあやふやな存在。
とても綺麗だけどすごく不確かでぼんやりしたように見えた虹。
僕たちはあんな不確かではないと思った。
ちゃんと実体としてここにいると。
たまに見れてラッキーというような存在でもない。
鮮やかでなくても土留色でも群青色でも僕たちは生きていく。
人はみなタイムカプセル
僕は一生クローゼットのまま死んでいこうと思っている。
この変わりゆく時代になぜと思われるだろう。
それでも僕は古い価値観を抱えたままで生きてきたしこれからも生きていく予定だ。
最初に植え付けられたものというのはやはり強烈に人の選択を縛る。
それがもしかしたらおかしいのかもと間違っているのかもと思ってもそう簡単には変えられない。
人はみなタイムカプセルのようなものだと僕は考えている。
たまに古い価値観が露呈したことで問題となり炎上するニュースが聞こえるが、誰もがタイムカプセルなのだからそれはそれでしょうがないことなのだと思う。
人によって保存状態の差はあろうが、結構埋め込まれたものは消えないなと思う。
親に気づかれていようといまいと僕はゲイであることを打ち明けることはせずにそれを墓場まで持っていく。それが両親に対する最大限の誠意だと信じている。
良い悪いではない。それぞれが抱えてきたものの中から選択をするしかないのだと思う。