異物であり続ける努力。
ネパール人の彼と接していると変な怒りが湧いてこない。
この場合の変なは心身に悪い影響が出そうな怒りという意味だ。
そもそもそんな怒りを覚えやすい人間ではないものの、感情の起伏はある。
言葉のやり取りをした後に日本人相手だとそこもう少し気を遣えんかとか思ってしまうのに
ネパール人相手だと大きな期待もないからかスンと言葉を飲み込めるから不思議だ。
余計なことを考えないでいいのはすごく気が楽になる。
初めて会って多少似ている部分、シンパシーを感じ取ったと以前書いた気がするけどそうじゃなかった。
むしろすべてが違うことに僕は安心したのかもしれなかった。
日本社会という世界の中の異物としての彼。
僕という世界の中の異物としての彼。
すべての前提が違うからこそどんな反応だってあり得ると納得できるし想像もできる。
だから自然と寛容になれているのかもしれなかった。
日本人相手でもネパール人相手のように接することができたらいいのに。
そうすればこれまで人間関係でこんなに悩まなくてよかったのではないかと思う。
でも、同質の溢れる日本の田舎で育ってこうなったのは、こう育ってしまったのはこれはこれで自然なのかも?
国内の人だって生まれた場所も時間もみんな違うのにね。
それに気づけないんだなぁ。