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「八代亜紀はなぜ後年紅白に出れなかったのか」。


快活年越し民の孤独

実家から逃げて今年も快活で年を越した。
隣県である熊本の快活での年越し。
年末年始も快活は休まず営業してくれる。
祝日料金ではあるものの特別高額ということもない。
利用者はどんな人なのか。
正月に集う相手のない寂しい老人なのか、旅行中の若者なのか、僕のように何かから逃げたいだけの人なのか。
わからないがリア充の割合は低そうな空気は感じた。

年末年始のBSを席巻した八代亜紀追悼特集

快活に来るといつもPCのテレビを起動しBSを見る。
地上波を見るとしたらNHKのドキュメント72時間か地球ドラマチックぐらいなものであんなに夢中だったバラエティ番組もほぼ見なくなった。
今回の年末年始。BSを席巻したのは八代亜紀の追悼特集番組だった。
一昨年12月30日に亡くなった八代亜紀。訃報は年明けに報じられた。
あれだけの大歌手でありながらしょうもないバラエティでもいつも柔らかな笑顔で出演していた八代亜紀。その訃報は直撃世代でもなく同じ九州人であるぐらいしか共通点のない自分にも言いようのない寂しさがやってくるほどに大きな出来事だった。

昨年末の紅白歌合戦で八代亜紀の追悼コーナーはなかった

昨年末の2024年紅白歌合戦を最初から最後までしっかりと全編を見た。
Twitter改めXで一人実況しながらの観戦。
2ちゃんの実況で育ってしまった四十路のおじさんにとっては悪くない紅白のような気がした。
サプライズもあったB'z、アラフォー直撃のGLAYやHYなどは素直に楽しめたし見ていてテンションも上がった。
もちろん若者の大人数グループはJ-POP、K-POPに限らずもはや違いが判らない領域に足を踏み入れ始めているのでまともな評価はできないが。
それでも見た人はそれなりに楽しめたのではないだろうか。
しかし、あれほど紅白にも出場した八代亜紀の追悼コーナーがなかったことにはかなりいかがなものかと強い不満を感じざるを得なかった。

演歌の迫害を一向にやめようとしないNHK

また相変わらず演歌・歌謡勢にはドミノやけん玉といった歌を大事にしていないふざけた演出を続けるNHKの姿勢には怒りさえ覚えた。
あんな演出を今を時めくアーティストに果たしてさせることができるだろうかと考えてみればおのずと答えはわかるはずだ。
ミセス青りんごにドミノをかぶせたりバウンディにけん玉をさせてみぃよと思う。
あの演出が発している一貫したメッセージは「年寄りの文化は要らない」ということである。
数字を気にしてテコ入れでああいう演出をしているのなら公共放送がやっている意味がない。NHKのスポンサーは受診料を支払っている一般国民の皆様のはずだ。
それにあそこまでのもはやいじめを超えた迫害を見せるなら例えばいくらLGBTフレンドリーアピールするなどをしても意味がないと思う。
誰かを切り捨てようとする姿勢を露骨に見せる番組は他のものも平気で切り捨てるだろうし決していいものにはならないだろう。

紅白から演歌が消えることの悪影響

例えばクリーピーナッツ。40ぐらいなら日本語ラップもついにここまで来たかと感慨深く見ることができるわけだが、若者はその経緯を知らない。
あそこまでの洗練された日本語ラップの到達点の前にどれだけのだっせぇ日本語ラップがあった上でのクリーピーなのかということがわからない。
それも紅白が演歌をちゃんと流がさないことの弊害だろう。
確かに世代によって聞く音楽は違う。しかし、それをごった煮にしていたことが紅白の魅力でもあったと思うのだ。
世代別で音楽を分けてしまうことで心の分断も進んでしまっているのが現状だろう。

演歌・歌謡曲にしか救えない魂がある

思えば四十路のおじさんにとって幼い頃から見てきた紅白のトリ・大トリは演歌勢のものだった。
主に90年代の話になるが、ほぼほぼ演歌勢が独占していたこと時期は幼いながらに無駄に長いし退屈だとあまりいいイメージはなかった。
それは確かに古いものの象徴ではあったしキラキラした90年代のJ-POPに比べると鈍く光る演歌の魅力が子供にはわからなかったのだ。
しかし、快活で年を越すような未来を迎えてしまった今となっては演歌が沁みて沁みてしょうがない。
J-POPで埋められない傷も演歌なら歌謡曲なら埋めてくれる。
そういう感覚である。
今の若者の曲を聴いていても昔のように明るい曲ばかりではない。
閉塞した時代の中で若者たちは派手さを好まずより保守的になっている。
この流れから若者の昭和歌謡ブームの次はもう演歌が来ざるを得ないと感じている。

BS朝日「人生、歌がある」5夜連続5時間スペシャルを完走して思うこと

BS朝日で「人生、歌がある」という番組も見た。
年末年始の12月30日から1月3日まで5夜連続5時間スペシャルというトチ狂った企画だった。BS朝日開局25周年記念ということだがそれにしてもである。
それをひとりで完走したこちらも十分トチ狂ってはいると思うが。
八代亜紀の命日であった12月30日には1周忌ということでかなりの時間を割き八代亜紀の追悼特集をしていた。
まぁその愛の溢れること。司会の吉幾三が八代亜紀への楽曲提供の予定があったこともあり涙しながら思い出を語ったり、他の出演者も誰もが八代亜紀の生前の映像をやさしい瞳で見つめていたのが印象的だった。
元日からはトシちゃんこと田原俊彦スペシャルメドレーをやるなどそのゲストの豪華さや飽きさせない工夫に四十路のおじさんも大満足できる内容だった。
聞けば往年の大ヒット歌番組である「夜のヒットスタジオ(通称・夜ヒット)」の疋田プロデューサーが手掛けているらしい。
演歌、歌謡曲の魅力を十二分に伝えながらも吉幾三の軽快なトークは観客も出演者も自然と和ませその良い雰囲気が画面からそのまま流れてくる。
それもこの番組も力からだろう。
作るべき人が作ればまだまだ紅白だって面白くなるし若者だけのもの、年寄りだけのものにならずにすばらしいものになれるのだという確信を持った。
中途半端に若者に媚びなくたっていい。昔を懐かしんで旧態依然のものに戻らなくてもいいのだ。

「八代亜紀はなぜ後年紅白に出れなかったのか」

紅白のトリとしてすごく印象に残っていた八代亜紀の「舟唄」。
以前は八代亜紀といえば「雨の慕情」と「舟唄」の人でしょぐらいのイメージしかなかったが、八代亜紀の歌を少し聴くようになるとそのヒット曲の多さに驚かされる。
「なみだ恋」「おんな港町」「もう一度逢いたい」などなど挙げればキリがないほど。代表曲が本当に決められない歌手の一人だろう。
また情感たっぷりにあのハスキーな声で海の唄を歌われると本当にたまらない。
そんな八代亜紀の紅白出場が2001年が最後だというと驚かれるかもしれない。2002年以降、八代亜紀は紅白に一度も出場していないのだ。
あの国民的歌手の八代亜紀がである。
2005年の"スキウタ"という紅白の国民投票的企画でも人気が高かったにもかかわらず出場はできていない。
この謎は誰かがきちんと調べて明かしてほしい。
紅白出場がかなわない期間も八代亜紀はもちろん精力的に活動を続けていた。
2019年、当時大ブレイクしていたみやぞんとのデュエット曲「だいじょうぶ」リリース時には〈目標は紅白出場〉としていて出場の意欲があったことがうかがえる。このリリース直後に氷川きよしも「大丈夫」という曲をリリース。氷川きよしはその曲で紅白出場と何か芸能界の闇的なものをすごく感じたことを覚えている。
同じ九州で演歌の大先輩に氷川きよしが同タイトルの曲をぶつけるとは考えづらく出方の意思とは違うところで何か大きな力が働いたのかなと。
一般人には裏側のことはわからないし陰謀論のようになってもいけないのでそこまでにしておくが。
四十路のおじさんが年末の風景として覚えている「舟唄」も1999年が最後だったようだ。そう考えるともう四半世紀前の出来事なのだ。
あれだけの人気・実力・好感度すべて兼ね備えていた国民的歌手はなぜ紅白のステージから遠ざかざるを得なかったのか。
あの時代を生きていた人間なら誰もが知りたいのではないだろうか。
そのまま新書のタイトルとしてどうだろう。
これは真面目にどこかのライターさんが取り上げてほしいテーマだ。
様々な芸能界のタブーが崩されていく中、この真相もいつか明かされるのだろうか。
12月30日、「人生、歌がある」の八代亜紀追悼特集の最後に吉幾三をはじめとした出演者全員での「舟唄」大合唱があった。それはそれはすばらしかった。
あれがなぜ紅白ではできなかったのか。その意味を今も考えている。

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