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ここは列車の墓場、それとも。


白地に青の日豊本線

筑豊を車で通った時に地元からはもうなくなった白地に青の車両の電車が走っていた。宮若辺りだったろうか。同じく地元からは消えた真っ赤なJRの路線バスもまだ走っていてちょっと感動した。
日豊本線といえばやはり白地に青のあの車両のイメージで。
別府の別大国道辺りを走る姿をいつか写真に撮ろうと思っていたら1年前ぐらいにほとんど引退してしまったようだ。
それでも一部過疎地域の路線にはまだ残っているのかもしれない。
あのシンプルイズベストなカラーリング最高!なんて思っていたらなんてことはない国鉄時代の生き残り車両だったとは。
古いものを大事に使ってたとも言えるけど、田舎だからお古でいいだろうって感じもするし何とも言えないな。
ただあの車両が僕の中の日豊本線でそれはずっと残り続けると思う。

田舎者はいつ田舎者と気づくのか

大学進学で大分から福岡に出たときに複線というものを初めて目の当たりにした。
日豊本線は単線なので各駅で列車の行き違いのための待ち時間が発生する。複線なら上り下り分かれているので無駄な時間は生まれようがない。
それで田舎ってあんなに本数少ないんだなぁと変に感心した覚えがある。
また快速というのにも驚いた。同じ料金で速い意味が分からないし田舎者には理解が追い付かなかった。
振り返れば鉄道の違いで大分って田舎だったんだと気づいたようながする。
もちろんそれまでもわかってはいたけれど、実感としてね。
九州内の違いなんて外から見ればほんのちっぽけな違いでしかないこともわかっているけどさ。
同じ線路でつながっていて違いが分かりやすいという意味でやはり鉄道って田舎者が田舎者と気づく大事な要素なのだと思う。

田舎の電車通勤野郎ども

最近ちょくちょく大分の電車に乗るようになってあぁ大分でもスーツ着てちゃんと通勤しているリーマンがいるんだなと当たり前のことに気づいた。
同じ市内でも郊外に育つと完全に車生活だったのでそんなに通勤で気を使うということがない。髪だってなんだってそれなりにしとけばいい。電車に乗るなら田舎でもそれなりに身なりを気にしなきゃいけないなぁとか思う。ニオイとかね。
都会のようなギュウギュウの満員電車はないけれど、最低限のエチケットは守りたいよね。
電車に乗って気づいたけど大分もかっこいいリーマンまぁまぁいるじゃん。
自分がブスだとみんな田舎の薄顔ブスなんだと思いがちなんだけど、そんなことないんだよね。一般化というか全体化ってやっぱしちゃうんだけどそれはダメだね。大分のリーマンはホットな人いますから。

線路は続くよどこまでも

都会と田舎とが線路でつながっていると言っても大分ぐらい田舎だとさすがに東京につながっているなんて想像もできないし大阪だってどうかなって感じかな。
でも、かつては大分から東京へ寝台特急が走っていたんだよね。
物理的につながっているかどうかそれを認識しているかどうかってすごくすごく大事だと思う。
だって今もフェリーの航路でつながっている関西はやっぱり心理的距離が近いもの。
どこまでも続くと言っても大分市内でも駅の無人化も進んでるし地方は路線維持できるかの話になっていくだろうなと思う。
悲惨な北海道だけの話じゃないよ、もう。
すでに目の前まで来てる。
かつて日豊本線ってのがあってねっていう話をすることになるのかな。
もうその頃には僕はもういないか。アーメン。

最後の保養地ぐらいにしといてくれ

日豊本線で頑張っていたのが国鉄時代からのおじいちゃん車両だったと知ってなんだか人間ドラマのようなものを感じた。
都会でたくさん働いて頑張って田舎の支店に飛ばされてそこで一生を終える。
もしくは都会でたくさん働いて頑張ってリタイアして余生は田舎でゆったりと過ごす。
まぁどっちでもいいんだけど、列車の墓場みたいなのはちょっとなぁ。
あまりにこの田舎が哀しすぎるじゃないか。
この田舎はおじいちゃん車両の最後の保養地だったのだと思いたい。
毎日別府湾を見ていい一生だったと思っていたと思いたい。
そして、小倉の車両基地で最期を迎えたと思いたい。
それがここに住む人間の思いだ。


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