笑顔が消えた日
※この話は、過去に書いたものでLINE BLOGで初めて1.17阪神淡路大震災のことを書いたものです!!
今日で23年の時が流れた。
1.17阪神・淡路大震災があった日。
この日は、朝早くに下から突き上げるような縦揺れの地震、はじめは何が起きたのか解らず、飛び起きた。
テレビを見ると、神戸の方では悲惨な状況になっていたが俺には、ウルトラマンの特撮にしか見えなかった。
でも、それが現実だった。
俺が住む町では、震度4だったが被災地は震度7と想像絶する数字だった、この当時は。
神戸方面にいる俺の仲間達とも連絡が取れない。
テレビやラジオの情報が、入ってくる度に状況は悲惨になって行く。
建物や道路が倒壊し、そのうち町中が火の海になった。
でも、何も出来ない歯がゆさだけが残った。
地元の仲間達を集めて、俺が行動したのは震災後、もう10日は過ぎてた。
俺達は、車3台に別れて集まった資金で食料と鍋、ちょっとした衣類、タオル等思い当たる物資を集めて車に積み込んだ。
神戸方面に向かう道は、神戸方面に近付くにつれて渋滞が激しくなって、あげくには動かなくなった。
それでも、俺達は諦めずに前に進むことだけを考えた。
やっとの想いで被災地神戸長田区の近くまでこれた。
でも、まだ神戸の仲間達と連絡は取れない。
そんな中で、俺達はある小学校の近くで炊き出しを始めた。
他の人達も、やっててその人達と合流してすることになった。
体育館に身を寄せてた人達がやって来て俺達が作った炊き出しを食べてくれた。
温かい炊き出しに少し「ほっ」としたのか、「美味しい」と言って笑顔を見せてくれた。
それは、ホントに小さい希望の笑顔だった。
そのあと、小学生低学年位の女の子がお母さんと二人で来たので俺は「もう大丈夫だよ!!熱いから気を付けてね!!」と笑顔で炊き出しを渡すと、「ありがとう!」と又、小さな希望の笑顔だった。
そうして、少しずつ希望の笑顔が増えて行ったけど、それはその一時の事だった。
そこに、本当の笑顔はなかった。
しばらく、俺はこの被災地に滞在した。
もちろん、車で寝泊まりして他の仲間が交代で地元に物資調達に行ってた。
そんな中で、俺はトイレが一番苦労した。
被災された方も、食料と同様に苦労されてた。
でもね、この事は忘れてはならない。
俺は忘れない。
あの、少女の一時の希望の笑顔を!!
そして、今現在、あの少女が本当の笑顔になってることを俺は心から願っている。
あっ、神戸の仲間達ね、ホントにしばらくしてからね連絡取れて、みんな元気だったよ!!😁
その時ね、俺の携帯の電池切れてね、充電できなくてね、1ヶ月後位に家に帰って充電してからね、奴等と繋がったよ!!😁
それから、又、1ヶ月後に奴等と会ったよ、神戸でね!!
俺達はもちろん、笑顔だよ!!😁
終わり
【笑顔STA日記部】
笑顔!!
STA!!
by
Merryhiro