無理の構造〜細谷功〜
地頭力など少々難しい内容を取り扱う細谷さんの本。会社の人にお勧めされて初めて読みました。メッセージとしては世の中の無理なことに抗うのはやめなさいという事。さて、どんな内容か。
世の中理不尽だ、というがそもそも「理」とはなにか。「理」とはルールであり、ルールに当てはまっていないため理不尽に見える。がそもそもルールに当てはめられると考えるその前提が「無理」なのではないか。
理不尽の元凶はそもそも同等でないものを同等と思い込んでいる点にある。
基本的に物事は言葉の意味では対象だが、そのどれもが完全に対象の事象を有している訳ではなく、非対称となる。
また対象ではなく大きくねじれている構造は常に起きており、その関係性は1:9の割合になる事がある。例を挙げれば発信するものと受信するものである。言葉の意味としては対象の関係に思えるが、切り口が違えばねじれの構造が起きる。発信するものを挑戦者とすれば、挑戦者が安心して挑戦できるのは、実は多数の「挑戦しない」人たちの日々の地道な活動に支えられているからである。結局は1は憧れられるが9の論理が世の中を占めている。
さて一旦はここまで。私つくもちの解釈でいけば、ありとあらゆることは対象でもないし平等でもないからその不公正さを受け入れて生きろよとのこと。さて続きを見てみよう。
上流と下流と言う言葉があるが、どちらが偉いとかではなく要は与えられている役割が違うという事である。上流の工程は問題定義であり変数を決め打ちする事であり、下流の工程はその変数を最適化させることにある。ここでいう変数とはそもそもの論点や視点の事である。人材で言えば尖った人が必要なのが上流で、平均レベルを上げるために「底上げ」が重要なのが下流。上流と下流では、要求される価値観やスキルは「正反対」といってもよいほど違っている。例えば個性や個人技や理想が重要なのが上流、現実的で規律があって仕組み化が重要なのが下流。重要なのは「どちらが正しい」ではなく、対象とする議題が上流の問題なのか下流の問題なのかを前提として共有することである。その上での議論ができれば、どれだけの時間が創造的に使われるようになるかは計り知れない。
ストックとフローの関係で表すと誤解している事がある。それはストックを自在に変化させる事ができると考えている点だ。会社の上司がスキルに違いがなくとも年収や地位が高いように一度蓄えられたストックは中々放出しきれないものである。
また私つくもちの解釈だが、つまりは前提条件や捉え方によって物事の判断基準は大きく、それは大きく異なるという事である。社会に生きている方法を取っているならばその社会(例えば下流)に合わせた状況判断をしなければ「無理」が生じるとのこと。1の思考でいたために9の力で倒されるのは自然の摂理なのである。身に覚えがありすぎて震える。
人間の心の空間では常に自分が中心であるため他者と非対称になるのは当然である。自分を棚に上げる自己矛盾(「代案を出さずに反対するのはやめろ!」という「反対への反対」に陥りがち。
私たちが世の中に抱く理不尽さは全て人の頭の中から出てくるものであり、それを受け入れられなければ、無理となる
成功体験は前提の議論なくして話を聞いてはいけない。なぜなら自分の経験を中心に話すと「部分的」にも関わらずそれを全体だと錯覚して話してしまうから。本来であればこういう状況の時は、、と細かく条件を設定した上で成功体験をようやく聞く意味がある。
ここまで読んでいただきありがとうございました。以上をまとめると
・対象や平等という錯覚があるから反抗する訳であり、よほどの事がない限りその「無理」に抗う事は体力を極端に消耗する
・議論するような全ての事は前提条件を揃えなければ成り立たず、場合分で使える戦略は大きく異なる