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記憶の扉が開いたとき。許せない奴をどうするか

先日ドラマを観ていて、中学生時代にした少々辛い経験を思い出した。

私はごく普通の公立中学校に通い、割と友達が多く、クラスでも中心の2,3個隣くらいの位置に居るタイプの人間だった。ポジティブで、はっきりしているチャキチャキした性格だったので、陽キャだったと思う。

何がきっかけか、何の心当たりもないが、ある時から、同じ学年の男子から、一方的に蹴られるなどの暴力を振るわれ始めた。学年の中心的な男子2,3名から蹴られていた。学校の廊下ですれ違ったり、階段で出くわすと、何が気に食わないのか、彼らに蹴飛ばされていた。一度につき、2,3発だっただろうか。痛かったし、恐怖だった。
女子からは、「大丈夫?」とは言われるが、本気で助けてくれる人は誰も居なかった。けれど彼女たちとは変わらず仲良くしていたし、大勢の人間からいじめられるという事態にはならなかったので、不思議なことに、クラスでのポジションもあまり変わらなかった。行事・イベントのときは、それなりにスポットライトが当たっていたと思う。だけど、助けてくれない友人や教師を恨んだし、いじめられていることを認めたくなかったし、高校受験も迫っていて、彼らのせいで学びを止めたくはなかった。幸い、学校には通い続けられていた。
ただ、暴力がエスカレートするのが恐ろしかったので、修学旅行には行かなかった。周りには、「修学旅行ダルいから、行かない」みたいなことを言っていたと思う。
人並みに楽しみ、人並みに嫌な思いをして、絶妙なバランスを保ち日々を過ごす14~15歳だった。
苛烈ないじめではないし、不登校にならずに無事に卒業したし、高校以降は誰かに暴力を振るわれることもなかった。治安の宜しくない地域の中学校では、よくある青春の暗部だ。トラウマ的な感情はないはずだ。
当時を振り返り思うのは、下手に踏み外さなくて良かったということだ。

ただ残念ながら、その時暴力を振るっていた奴と時折会うし、会話をすることがある。生活圏が近く、共通の知り合いも多いからだ。一番暴力を振るっていた奴の隣に居た腰巾着みたいな人間だ。たしかに、そいつは私のことを何度も蹴飛ばしてきた。それは鮮明に覚えている。
仮に、シマと呼ぼう。
シマとは年に何度か会うが、サシで接することはほとんどなかった。周りの雰囲気に合わせて会話はできるが、はっきり言って、今以上に親しくなりたくはないし、かといって、露骨に嫌悪感を出すこともしない。
20年以上も前の出来事だし、私自身、何事においても清廉潔白な人生を歩んできたわけではないから、シマを責め立て、今さら謝罪をして欲しくもない。必要以上に接触しないという、この20年ほどの関係性のままで良いと思っている。そしてシマは恐らく、私をボコボコに蹴飛ばしていたことを覚えていないだろう。
加害者は忘れ、被害者は忘れられない。

ただ、私も大人だ。昔の出来事との折り合いをつけるようにしている。
シマが得意気に趣味の話をしている場面に遭遇すると、周りの人間に悟られないように、腹の中で、心の奥底で、小馬鹿にして笑っていた。熱っぽく喋りかけられ、こちらは表面的には笑いながら相づちを打っているが、本当は一切同意していないし、一ミリも面白いと思っていない。偉そうに講釈垂れてるけど、お前なんて最低のゴミみたいな人間じゃないか。と一人でほくそ笑んで楽しんでいた。そうしてやり過ごしてきた。しかしたまに、心の中で小馬鹿にするだけでは、やりきれなくなる時がある。
皮肉なものでシマは好感度が高い。
「あいつイイ奴じゃん」「シマはイイ人」という評価を耳にすると、私の中の中学生の私がそれを許さない。
恨んでも恨み切れない程ではないが、決して許すことはない奴。

テレビドラマを観てふと開いた心の中の嫌な記憶。。。
ここに書き起こして、少し気持ちを成仏できた。沸き上がった怒りを封印してまた明日を生きよう。

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