物語は「回答」ではない? 読書ノート#2 Companion Piece アリ・スミス著
最近はまっている、イギリス現代作家のアリ・スミスの最新作 Companion Pieceを読んだ。
難しいけれど、面白いなあ、アリ・スミス。
作品をすべて読んだわけではないけれど、
スミスの小説には、エキセントリックな登場人物(突然、1本の木に熱烈に恋してしまった短編『5月』の「あなた」みたいな感じ)と、その人物のエキセントリックな行動に巻き込まれながら、冷静に受け止める、これまた癖のある主人公らしき人物が出てくる。これらの登場人物たちのやりとり、会話が、スミスの魅力の一つでもあると思ってる。
実際、スミスは
全ては会話(dialogue)から始まる
というようなことを自ら述べている。
エキセントリックな人物へも、感情的にならずに、真っ当な言葉で(時には少しずらして)対応する。このやりとりが、ウィットに富んでいて、スミスの小説はとても面白いのだ。
そして、最後はすべてをまるっと包み込んで、
じんわり温かくなるような、人と人の繋がりを見せる。
色々あっても、この世界のポジティブな側面を常に信じる。今回も、最後の章はじんわりと優しい。
というわけで、今回の作品も、かなりエキセントリックな方々が登場するわけだが、小説の構造は『両方になる』に似ているかも、と思ったら、ガーディアン紙のレビューにそんなことが書いてあった。
ブレグジットとパンデミック中の世界を描いた四季4部作に続く作品だからか、今回もパンデミックの影響が描かれているが、作中に語られる物語(作中作)は、同じくパンデミックの黒死病の時代のもの。時間を越えるし、『両方になる』で示したような、白黒つけない、両方がありえる、そんな場面も。タイトル通り、companion pieceをテーマに、対や仲間になって進む構造は短編のようでもある。。
以下、気になったことを色々。
問題は、自分が誰で、何なのか、あなたが自分自身で認めていないこと
主人公サンディーの元に、何かしらの答えを求めてやってきた人物に、サンディが言った言葉。
さらに、
これは、一体どういうことなの? 誰か、教えて!
と、出来事に物語を求めたくなることはよくある。
でも、物語は、何かについて考えるきっかけを提示するだけで、それ自体に答えはないのかもしれない。答えは常に自分の中に探さないといけない。
ということかしら?
誰かが作った物語はそうかもしれないな。
自分が語る時はどうなのだろう。
答えはあるのか、ないのか。
とりあえず、今は答えは出ないけれど(笑)、また考えておこう。