あなたを想って
私はよくあなたのことを想像します。
今日はどんな気持ちで、どんなことがあったのかな。
元気だろうか。
この文章を見て、笑うだろうか。何を思うだろうか。
私にどんなイメージを抱くかなって。
え?誰のことって?
この文章を読む人です。
文章を書くときに考えちゃいます。私だけ?
これを見るのは、私の知らない人なのか、知ってる人なのか、
どんな気持ちでこのページに来て、
読んでる途中で何を思うのか、
この文にどんな感想を持つのか。
この文を書いてる私にはどんなイメージを持つのか、
この文を見たことで何か変わるかな。
それとも、私っぽい!って思うのか。
最初にこういうの気になった人がアナリティクスって作ったのかなー。
AIが発達したら、視線とか表情とか認識して「どんな気持ちで読んでるか」までわかるようになったりしないだろうか。
それならとても気になる。
ここに「こんな人に来てほしい」って狙いを定めたのがターゲットって考えなんでしょうか。
あれ?「こんな風に思って欲しい」は何でしょうか。戦略?伝えたいこと?
仮にどんな感情で読んでるかまでわかったら、私の書く文章は変わるのか、変わらないのか。
そういえば、昔は本を読むのが好きだった
小さい頃、物語を読むのが好きでした。
「国語」も小論文より物語が好きでした。
理由は、現実にはない世界に入り込んで、その物語を見るのが好きだったから。
『ごんぎつね』とか『大造じいさんとガン』とか好きでした。
大造じいさんは、羽に白い毛が混じってるガンに「残雪」って名前つけたらしい。
大造じいさん、お爺さんなのにいいセンスしてる!!
詩的なお爺さんだったのかなー。大造じいさん。若い頃はそれはそれはモテたのかなぁ。
物語って書いてあることもあるけど、悲しい時に「悲しみました」とは書いていないこともあって、
「涙を流しました」とか、「空がいつもよりどんよりして見えます」とか、
「悲しい」んだ。じゃあなんでそんな感情になったのかな。
って何となくわかるんですよね。
でも物語ってどこかに空白があって、その空白を自分の好きに埋められる世界が好きだったのかもしれません。
あとは、物語の登場人物は「気持ちに嘘がない」から好きなんですかね。
物語の中で嘘をつくことはあります。
でも「読者」である私は全部、嘘は嘘ってわかって、葛藤も悩みもわかって、
何で嘘をつくのかもわかって、
そういうところが好きだったのかもしれません。
現実では、心の中まで全部覗くなんて無理です。つかれた嘘は、嘘か本当かわかりません。
本を読むこと
そう考えると、私に取って本を読むことは逃避だったのかもしれません。
私が関わりえない世界に、逃げ込むのが好きだったのかもしれません。
もう全然覚えてないです。
決して友達がいなかったわけではないと思うのですが、ずっと人と付き合うって疲れるじゃないですか。
小さい頃にもその気持ちはどこかにあったんですかね。
少なくとも自覚はしていなかったけれど。
それか、現実ではわからないことを見るのが好きだったのかな。
もっともっと子供の頃はお姫様はどこかに本当にいると思っていましたし、今もディズニーとか好きです。
お話を読む時って頭の中で、世界を想像するので、その世界の中に入り込む感じが好きだったのかもしれません。
自分の全然知らない世界ってワクワクしますよね。
剣で戦ったり、魔法を使ったり、動物とか恐竜とかと話せたり、お化けと仲良くしたり、
現実にはないんですけど、本を読んでいる私の中には確かにその世界は存在しました。
でも私の人生も
もしかしたら、自分の人生も物語で、自分より高位の存在が小説のように、私の心も葛藤も書き出して、それをみて楽しんでるかもしれませんね。
私は主人公で、誰かの登場人物で、
私の物語を読んでる人もいるのかなー。
私が楽しんでるのは面白いか?
苦しんでいるのは、面白いか?
感情に振り回されてるのは、面白いかい?
私の人生は君をどんな感情にさせる?
どんな終わりなんだ?
悲しいラスト?感動のラスト?それともハッピーエンド?
なんて、本当だったら、本当にあった怖い話みたいですね。