好きってなんなのか
「好き」って言葉は、言葉にしないと伝わらない。
いや、好きって言葉に限ったことじゃ無いけどね。
「これだから女は察して欲しい生き物なんだよ」って言われてもおかしくは無い。
ちょっと話は外れるが、こんなことを考えている時点で、私は紛れもなく女性脳なんだろう。
実際、話の内容は違うことに飛んでいくし、感性とか直感で決めていることも多いし、話も共感してしまう。
だって好きって言葉を口にできるのは
でも、普通の好きは簡単に口にできても本当に好きな人にほど好きは伝えられないんだよなぁ。
別に伝えていないとかではなくて、態度では言葉の狭間では伝わるようにしてる。でもそれって伝わってるかわからない。
多分、「相手が自分を好きになってくれる可能性が分からない」人にほど、私は「好き」を言葉にできないのだと思う。
今更だけど、前提として、この「好き」は恋愛に限った話ではない。友達でも先輩でも相手が同性であっても同じように作用する。
だって、恋人にだったら私は結構簡単に、すぐ好きとか伝えられるんだもん。
恋人って自分を好きでいてくれる前提があって成り立ってるから。
でも友達はその限りではないよね。いや、女の子の世界だけなのか?
少なくとも「友達」って言っててもそれは一方通行で…みたいな話はよく聞くし、実際目にもする。
仲が良いって何で保証されてるんだろうか。言葉?態度?
一定数あからさまな人はいるけれど、そうでない人の方が多いような気がする。
結局私は逃げたいだけなのか
結局いつかの記事で書いたように誰かに嫌われるのが怖いだけなのだろうか。
それともただ、私は私を傷つけたくないだけだろうか。
何度も他人に傷つけられて、それでも他人が好きだから、好きでいたいから、面倒臭いんだろうか。
それでも好かれたい、誰かにわかって欲しいと思うのは間違えだろうか。
ビジネスの場は別として、プライベートぐらい、偏見も裏も何もなく、当たり前のように何も考えず話したいと思うのは間違っているだろうか。
人と人の繋がりがある以上、どこかで何か別のところで、突然どこかで知り合った人がつながっていたりして。
そんな世界だから余計に難しいのだろうか。
大人になると、新しい友達を作るのが難しいと言うけれど、それは本当だと思う。
あの頃は純粋で無垢で、何年かしたら環境も勝手に変わって、無理にでも離れられた。そこがどんなに居心地の良い場所だったとしても離れざるを得なかった。
だから、誰かに嫌われるのが怖くても、最後は離れるのだから。嫌われても何年かの我慢で逃げることができた。
最後には守ってくれる大人という存在もあった。まぁ、その大人が必ず守ってくれるかは別の話だが。
大人になればなるほど、環境を変えるのは難しい。誰も守ってくれない。自分で動かないと実際何も変わらない。
そして居心地の良い場所であればあるほど、少しの欠点に目を瞑ってしまう。その欠点を押しても余りある居心地の良さから、離れたくなくて。
もう1度その居心地の良さを形成するのが難しいことは、なんとかたくさんの世界を形成してきた今までの自分が1番よくわかっているから。
こんなのあったら怖いと思う?
いつかここにも書いたことがあるかもしれない(まだ下書きかもしれない)が。
いつか、どこかで、ITなのか、解剖学なのか、生理学なのか何かが発達して、機械が人に感知できるようになったら作って欲しいものがある。
私がそこにいたという記憶をみんなから消せるボタン。
いや、別にボタンじゃなくても良いんだけどさ。
押したら、ある一定のコミュニティとかに関わる人の全てから私と話した記憶とか私にまつわる記憶が全て消えるボタンが欲しい。
そうしたら、私は今まで関わった好きな人を、私がいない世界の好きな人を何かしらでこっそり見たい。
そして、私がいない世界で生きてるその人を見て、ある日突然飽きて、見なくなるのだろうな。
今の時代、InstagramとかTwitterとか、記憶がなくても繋がっているツールはたくさんあるはずだから。
まぁ、そんなボタンがあったら逆に押される可能性もあるわけで、私が知らないと思っている人が私を知っていることも起こりうる。それは少しだけ怖いと思ってしまうのはわがまますぎるだろうか。
まぁ、そもそもそんなものがあっても倫理的な観点から、発売も、実用もされないことはわかっているんだけどね。
一つのコミュニティの全員の記憶から消えるってたぶんすごい自分の人生にも影響を及ぼすだろうし。
もしSNSとかで繋がってたらLINEとかはブロックされるのだろうか。
ちょっとだね、お試ししてみたいなぁ。
結局
でも、そんなことは結局できないから。
少なくとも現状では無理だから、なんとかこの気持ちとかモヤモヤとかに折り合いをつけて生きていくしかないのだろう。
っていうか、もっと大人の方々から見たら、この考えが浅いのだろう。
本当は幽霊になって誰も見えない世界で私が好きな人を見守りたいけど。
いや、誰も自分に反応してくれないのは少し寂しいか。
結局人と関わるってことは、自分である程度予防することはできるとしても、どこかで人に傷つけられるし、振り回されるってことなんだろう。
そして、それを許せる人が家族で、恋人で、友達で、他の誰かで。
だから私はその人が好きなのかもしれない。
少なくとも、モヤモヤする時点でその人に自分を好きでいることを期待しているんだろうか。
そう考えるとこの「好き」って感情も私のただのわがままなのかもしれない。
この人は私を好きになって欲しいっていうわがまま。
そして、このわがままを許して、「私も好き」を表してくれる人にだけ自分のわがままな感情である「好き」が伝えられるのかもしれない。