出会いを求める
出会いって転がってなさすぎないか?
小さい頃思い描いていた大人は、当たり前に仕事して、当たり前に結婚して、出産して、家庭を築いていたのに。
まぁ、小さい頃に周りにいる大人は、自分の親も友達の親も「子どもを産んで家庭を作った人」だから、小さい頃の「大人」のイメージってそんなもんよね。
あの頃思い描いた20代は、当たり前に結婚も出産もしてて、家庭に入る道も仕事を続ける道も…なんて考えてたのに。
25を迎えた現状は結婚どころか彼氏もできそうもない。
そもそも出会いってどこにあるの?
いや、学生時代は身近にあったはずだ。
学校にもバイト先にも当たり前に同世代の異性がいて、恋愛対象ではないけど、いつの間にか恋愛対象になってたりした。
その関わりには、もちろんギラギラした「彼女探し」に来ている人はいなくて、単純に友達として接せていた。
それは私も同じで「彼氏探し」なんてあの頃はしてなかったもん。ただ友達として仲良くしようって接してた。
大人になると出会いがなくなるってよく言うけど案外本当だと思う。
仕事先の人はやっぱり別れたら面倒だなーとか考えてしまうし、大人になったら友達は途端に増えなくなった。
友達や新しい仲間になった異性にトキメキはなくなった。
じゃあ他で見つけようとすると、マッチングアプリとか?婚活とか?
そこで出会った異性はギラギラしている。いや、私も探しに行ってるからお互い様か。
お互い好きでもない相手を無理やり条件に押し込めようとしてる気がする。顔とか年収とか、そもそも会うだけでも可愛くないと会えない。
その上で『デート』という審査に受かったら無事に彼女と彼氏になれるのだろうな。
いや、結婚まで考えた恋愛なんて多分そんなもんなのだろう。真面目な恋愛なんて意外とそんなもんだと言われればそんな気もする。
そんな風にして見つけた「彼氏」や「婚約者」はきっと友達からも歓迎され、家族からも歓迎されるさぞ立派な相手なのだろう。
私は割と人とは関わっていく中で好きになれる方だしね。
そもそも自分が誰かに選ばれるだけでありがたいと思わなくてはいけない。
こんな芯のなくてふわふわしている、特別美人でもない人間を彼女にしてもいいと思ってくれるだけでありがたい。
そんなことはわかっている。
でもどこか異形さというか、違和感というか、薄く纏う気持ち悪さが拭いきれなくて、何回か会っても突然嫌になってしまう。
マッチングアプリも彼氏探しもたくさんしていると自分が女性という市場にかけられてるような気がする。自ら望んでその市場に出ているはずなのに。
そんなことを続けていると、誰かに特別嫌なことをされたわけではないけれど、どうしても続けていくのが億劫になってしまう。
デートで着飾って猫被って、作り笑顔で可愛こぶって作った彼氏は本当に私があの頃考えていた「彼氏」や「旦那」に当てはまるのだろうか。
じゃあ他で出会いが全くないのか?
全くないって言ったら嘘になるのだろう。
ナンパされればそれも出会いだし、バーで隣の人に話しかけてしまえば出会える。
新しいコミュニティに顔を出せばある程度繋がりや友達はできる。
でも、仲良くなれそうって思ったあんまり仲良くない人に、突然恋愛対象としてみられる瞬間は、なんだか嫌になる。
綺麗事かもしれないけれど、私はあなたが男性だから仲良くしようと思ったわけではないはずなのだ。
まぁ、心のどこかではその思考は私もあるのかもしれないけれど。
いや本当にそう思われているのかすらわからないけれど。
でも
デートレイプドラッグだとか、女の子の一人暮らしは気をつけろ、宅配ですらドアはすぐ閉めろって言われてる時代にあんまり仲良くもない人に
『(2人だけで)食事しよう』
『2人で飲みに行こう』
って言われると少し警戒してしまうのは流石に許してほしい。
その誘いは、もし私が既婚者でも誘ってくれたのだろうか。
普通にコミュニティの人同士仲良くなりたくて誘ってくれたのかな。
そうだったらその機会を自分から潰しているのかもしれない。
マッチングアプリには、あまりにもあからさまな人も多いから自然に『警戒』というものが身についてしまったのかもしれない。
別に行かないわけじゃない。誘ってくれた人皆にそう感じるわけでもない。
でも前回初対面ですぐ2人で遊びに行こうって誘われるとつい警戒してしまうよね。
そういう意味では私がただ単に極度の人見知りなだけかもしれないけれど。
男性に「そこまで意識して誘え」って思ってるわけでもない。
男性側もセクハラとかモラハラとか叫ばれる時代にこれ以上、男性の肩身を狭くする思考は可能な限り持ちたくはないとは思う。
私も女性だからって料理作れなきゃダメとかお酒は可愛いの飲めだとか言われたらやだし。
でも、誘うなら、ある程度他の仲間として関係性を築いて、私を知ってくれて、その上で彼女にしてもいいと思って欲しいなんてわがまますぎるだろうか。
その上で食事とか誘ってくれたら全然いくのにな、なんて流石に贅沢だろうか。
別にお高くとまりたいわけではないんだよ。
彼氏は欲しいし。てか彼氏が欲しいし。
…彼氏が欲しいと思ってるからダメなのかもしれないけれど。
私が求めてる彼氏ってなんなんだろう?
そもそも彼氏って「好きな人」を「彼氏にしたい」と願うのが普通で。
じゃあマッチングアプリって好きな人探しなのか。
でも、私は好きな人が彼氏になったことないからと思わなくはないけれど。
単純に出会いの母数を増やせば彼氏ができるだなんてあまりに適当すぎるだろうか。
私と会う他人が増えるってことは、私のことを彼女にしてもいいかと思ってくださる人は増えるのだろう、なんて甘いだろうか。
好きな人がいないのに彼氏が欲しいって言ってるのをよく見るけれど、案外おかしなことなのかもしれない。
だって誰でもいいわけじゃないし。
できるならもちろん好きな人がいいし。
私が欲しい「彼氏」に私は何を求めてるんだろうか。
しんどい時に甘えられる人が欲しい。
私を好きで居てくれる人が欲しい。
どんな時にも味方でいてくれる人が欲しい。
ダメな時はちゃんと前を向かせてくれる人が欲しい。
ただ、私が今を頑張る理由になる人が欲しい。
それはなんで友人ではダメで仲間ではダメで、先生でも先輩でもダメで家族でもダメなんだろうか。
私という存在を否定しない人が欲しいだけなのかもしれない。ただ、私を嫌いにならないという確証。この先もずっと一緒にいるという確証。
私が誰かに大事にされてるという確証。
私が誰かを大事にできてるという確証。
その確証を手に入れるために走り回って、ちょっと疲れてしまったってだけなのかもしれないなぁ。
それはきっと、友人や仲間に求めるにはあまりにも重くて、重すぎて苦しめてしまうから。
家族からはたくさん貰ってきて、そろそろ返す年齢になってきたから。
そう思うと私の存在を1番否定しているのは私なのかもしれない。
そして、私が承認できない私を「彼氏」という名の誰かに承認して欲しいだけなのかもしれない。
なんにせよもう疲れた。しばらく彼氏探しはお休みして、私の好きなことがしたい。
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