ちょっとした愚痴のような話。
「もう疲れたよパトラッシュ…」
「くぅーん🐶」
って言いたくなる時ありませんか?
すみません、ちょっとふざけました。でも、そういうときありませんか?
私は結構あります。
なにに疲れるのか
自分が楽しんでいた「何か」にです。
私は何か1つに夢中になることが多いです。
やってみて、「楽しい」となると、ずっとそればかりやってしまいます。
何かやってみたい、何か進めてみたいと思ってしまいます。
ただ、進めているとある日突然、その日は来るのです。
「あ、疲れた。」
「これって本当に私ができる?やる必要ある?」
そこで頑張ることができれば、何か結果を残せるのかもしれません。
でも、私は「もういいや」となってしまいます。
それは「逃げ」なのかもしれません。
でも、なぜかそこまでかけてきた労力も時間もわかっていて、全て捨てたくなってしまうのです。
私がいなかったことにしたくなってしまうのです。
なぜ疲れてしまうのか
努力が苦手といってしまえばそうなのかもしれません。
勉強は好きでしたが、「何かに強制されてやるもの」と「好きでやっていて、やらなくても許されるもの」って違う気がします。
または「どうしていいかわからない」のでしょうか。
真面目に向き合ったことがないから。
私は友人に言われたことがあります。
「100回やったらできるとして、今がもしかしたら99回目かもしれないから、私はとりあえずやる」
よく聞く話ですね。
でも私は「99回やって、あと1回でできたとしても、それで出来なかったということが私の実力で、もう別にそれでいいや」
と思ってしまうのです。
変に完璧主義なのでしょうか。
私の性格
私は色んな人になります。
言い方はおかしいですが、色んな人になっていると思っています。
自分の中でいつの間にかこの場所では、「この性格」、この場所では「このキャラ」と決めつけができてしまいます。
それに伴って、
こういうところは見せたくない。
こういう発言はしたくない。
こういうことは言わない。
と「できないこと」だらけになっていきます。
逆に
こういうことを言うべきだろうか。
私がここでこう言わないことはおかしいだろうか。
とも考えてしまいます。
どういうことか。
例えば、とあるところでは明るくて、優しい私がいたとします。
そこの私は明るいので、笑っています。
悩みなんてありません。
優しいので誰かをあからさまに嫌ったりもしませんし、みんなと話します。
常に前を向いています。ポジティブです。
そう言うキャラを自分で演じてしまうのです。
そして、私自身の「感じたこと」や「悩みがあること」との乖離が起こります。
自分がこう思っているのに、このキャラの私は言わない。だから、そんなことは言わないし書かない。
そういう風に動いていると疲れてしまいます。
そしてある日突然その場から逃げたくなるのです。
「明るくて優しい私でいるの疲れたなぁ」と思ってしまいます。
じゃあ、もしも解決策として…?
本来の感じたことを出せる自分だったならば疲れないのでしょうか。
でもそれができるのは「既に自分を受け入れてくれる場所があるから」だと思うのです。
もし嫌われてもどこかに帰れば自分をそのまま受け入れてくれて、絶対に嫌われないどこかが。
私はそれが思いつきません。
家族の前でもどこか演じている気がします。家族だからこそ、ありのままの自分よりもより良い自分を見せている気がします。
きっと、「受け入れてくれる」「笑ってくれる」「意外だねっていいながら聞いてくれる」場所はあるのでしょう。
私の周りにも確実にその場所はあるのでしょう。
でも私は怖いのです。
心地のいい場所を失うことが。
今好きな場所であれば、あるほど、演じてしまうのです。
いつかは演じない自分に出会えるのでしょうか。思ったことをそのまま口にすることを怯えない場所に。
でもね
演じてる場所が嫌いというわけではないのです。演じてる場所も好きです。そんな自分も好きです。
演じているから本当の自分ではないと思っているわけではありません。
演じている自分も「自分」だと思っています。
そして、その「演じる」ことは「誰かを傷つけないためにも必要である」とも思っています。
これを言って傷つく可能性のある人はいないか。誰かが困らないか。
そういうことを考えられるのも演じている自分がいるからです。
だから言い方は悪いですが、皆多かれ少なかれ、演じているとは思っています。
極端な例ですが、目の前の女の人を「ブス」と思ったとして「あなたブスですね」っていう人はいないですよね?
だから、演じることは必要だと思ってはいます。
でもちょっと疲れちゃうこともあるよね?っていうただの愚痴のような話でした!
おしまい!!!!
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