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過去の記事って読みますか。

noteで記事を書けないとき、書くのに迷った時に、他の方のnoteを読むのはもちろんですが、私は自分の過去の記事を読み返すことが多いです。
『私が発信したいことは何か』『心が動いたのはどんなことか』と、過去の記事を読んで考えることがある。
『ネタがなくて、ひねり出した感があるなあ』とか『随分、硬い表現してるな』と自分の記事にダメ出ししたり、文章を手直しすることもある。

noteを始めた頃は、note初記事を何度も何度も読みました。
ぽちン、ぽちンとしかつかないスキ。
それでも、スキがつくと嬉しくて記事をまた読み返して。 
今では、はじめての記事を読むこともほぼなく1年が経過していました。

久しぶりに記事を読むと、文章・表現が堅くて、力んでいる感じがする。なんだか恥ずかしい。

はじめてnoteの記事を書いたとき、「自分は何者」であるかをまずは知ってもらおうと考えました。
はじめて読んでもらうんだから、自己紹介くらいしなくちゃと書き始めたのに、自分の好きなことや自分を言葉にしようとすると何も浮かんでこなくて。
どんなに考えても私ってこんな人っていう表現がなかなかできなくて、趣味や好きなものを羅列していました。
日常でも、仕事や趣味で出会った方に「はじめまして」の後、自分が何者であるのかを紹介できない。
仕事であれば、職業や職場を名乗ると私の一部分の理解がすすむようだが、それは私の鎧のひとつであって、私自身を紹介しているのではないというモヤモヤがいつもあった。
私から職業をとってしまうと、何も残らないのかー、じゃあ私って何者なんだろうと。

そんな自分が、1年前と違うのは、書くことで気づきがあること。

読書や美術館での作品で気持ちが揺れたことや旅行に関することを書いているときは、早く書きたくなって、一気にどんどん書いている。
ああ、それは私の好きなことだなって実感している。

好きなこと以外でも、とても書きたくなるのは、少し苦しかったり、辛いことだとしても、自分の心が動いたことを書いているときは、どんどん書きたくなる。

はじめの頃の記事は、今読むと恥ずかしい。
でも、この記事があったから今に繋がっているのだから、このままの形で残しておこう。


#noteことはじめ



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