Carlo Rustichelli 映画「鉄道員」 Il Ferroviereを聴いて時々涙が出るhttps://youtu.be/FF3sQtYx7ao?si=ZGm2fjkvgKxLzddk
Carlo Rustichelli 映画「鉄道員」 Il Ferroviere
を聴いて時々涙が出る
https://youtu.be/FF3sQtYx7ao?si=ZGm2fjkvgKxLzddk
娘と息子を夫婦で育てた。
父は鉄道員。
次男は長女と10歳くらい離れている。
次男は父に認められようと一生懸命に勉強、スポーツに励む。
いじめにもあうが、いい成績をとる。
そんな息子が自分に重なって、涙がときどき出る。
娘が成長し、結婚へと進む。
そんな中で、父は死ぬ。
私は8歳より父母から愛情の届かないところで育った。
私は男ばかりの4人兄弟の長男である。
8歳で父母は離婚。
長男は家族の悪い影響を一身に受ける。
父親の従兄弟が近所にいた。
そいつや父親は祖父や曾祖父の力で死なない安全な戦地へと送られた。
結果、そいつと父親は戦地から生きて帰って来た。
近所には、戦死した人が遺影となって額に入れられていた家もあった。
肉親を失った家族は、私の父を恨む者も多かっただろう。
そういったことも私を仕返しにいじめた理由になったのだろう。
養育した祖母には
「お前は母に捨てられたんだ」と何度も言われた。
自分の息子のしでかしたことをごまかすために祖母はそう言った。
「お前が女だったら良かった。」とも言われた。
女だったらこき使えるからだろうと私は思った。
私は近所の大人にもいじめられた。
小学校の教師にもいじめられた。
父母は私たち兄弟と同居していなかった。
祖父母が私たちを世話した。
私を守ってくれる者は祖父母以外に誰もいなかった。
だから近所の人も同級生も平気で私をいじめた。
そんな田舎に、18歳までいた。
小学校のとき、そんな現実をまともに考えたときもある。
これは大変なところにいる。
ひとまず、そういう問題については何も考えずに生きていこう。
と思った。
母は私が結婚して一年後まで援助してくれた。
(私に稼ぎがなかったから。
今から思うとみっともないですが。
当時は国家試験に受かることばかり考えていました。)
父は別に2人産みもう一つの家庭を持った。
父は養育費を全く送ってくれなかった。
「父ちゃんは金を送ってくれない」と祖母は口癖のように私に言って聞かせた。
金沢大学工学部を受けた。
受からなかった。
東京で新聞配達をしながら予備校へ行こうと考えていた。
そのために40万円以上ためていた。
父は就職を考えていた。
それまでに貯めた40万円を払って、
河合塾に行くことになった。