映画「ゴジラ−1.0」感想
劇場で観た。個人的には好きな作品だった。
主役は神木キュンと浜辺美波である。
①神木キュンが自分のトラウマと向き合って克服する個人の物語
②日本を襲うゴジラをみんなで倒す社会の物語
が絡み合ってうまいこと着地する。
パーソナルゴジラとの闘いに勝つかどうかが、ソーシャルゴジラとの戦いに勝つかどうかにほとんど直結しており、そういう意味でセカイ系?と言えるのかな?という気がした。
なんか「君の名は」観てるような気がした。
《神木キュンの初期トラウマ4点セット》
①特攻隊員に選ばれたが怖くて逃げた。
②機体故障のふりして着陸した大戸島でゴジラに出会い、ゼロ戦の機銃だかなんだかで撃てと言われたが怖くて撃てず、島にいた整備兵たちを死なせてしまう。
③帰ってきたら近所の安藤サクラに「恥さらしが!」となじられてしまう。
④「生きて帰ってこい」と言って心理的に保険かけてくれていた家族死んでる。
生き残り軍人やギリ出撃できなかった人たちによくある罪悪感を神木キュンも背負っている。
自殺することに罪悪感を感じたりすることがメジャー(らしい)現代人の感覚とはやや乖離しているかもしれないが、死ぬことが社会貢献だった時代においては、社会的な大義より個人の生存欲求を優先させたことが罪悪感として残るのはまぁわかる。
つらいだろう。
★演技(演出?)
演技のこととか何も知らないんだけど、「シン・ゴジラ」と対称的な感じはした。
シン→抑えてる、プライベートシーンなし
マイナス→エモい、家族シーンモリモリ
今作はタカシの映画だからみんなすごいわかりやすい動きをする。
「あっ、悲しいんだな」「あっ、つらいんだな」というのがパッと見でわかる。だから僕みたいな細かい演技とかわからない人でも安心して観られる。
状況はだいたい全部セリフで説明してくれる。鬼滅のような安心感。
でも終盤で神木キュンが爆弾を搭載した戦闘機で特攻しかけるとき、ちょっと笑ってるように見えるような表情させてた気がする。
「永遠の0」でもやってたお得意のやつ。
死ぬな死ぬな言ってた人が特攻することになり、命をかけた場面で自分の操縦テクを全部発揮できることに思わず喜びを感じてしまう。
闘争を享楽してしまう人間の本質をちょい足しする演出は、「永遠の0」にハイドラマ感を持たせていた。
それを思わせるシーンだった。
今作では結局生還するので、僕の思い過ごしかもしれないけど。
★ゴジラの定義が作品内でブレてる気がする
ゴジラは最初、大戸島の伝説にある太古の生物として出てくる。
なんでそんなのが今まで発見されずに生き延びてるのか、なんで今突然現れるのかよくわからなかったが、まぁわかったそうなのね、と思って受け入れる。
でも終盤になると、ゴジラ討伐に参加してた人たちが、ゴジラが死んで海に沈むとき、敬礼したりしてる。これってゴジラ英霊説を採用してるってことでしょ?
自然生物としてのゴジラ→英霊の怨念としてのゴジラとゴジラの定義が作品内で変わってる気がする。まぁ別にいいけど。ゴジラ警察は来そう。
★ハリウッド古典のオマージュ
全体的に、ハリウッドのレジェンダリー作品を思わせるシーンがいくつかある。
①大戸島におけるゴジラ(若ゴジラ)
放射能を浴びる前の通称若ゴジラは、「ジュラシック・パーク」のティ ラノサウルスみたいに動く。乗り物の窓からゴジラの横顔をのぞくシーンとか、人間をくわえるシーンとかはそのものだった。でもジュラシック・パークみたいに食いちぎったりはしなかった。
②海の中のゴジラ
海の中のシーンでは、「ジョーズ」みたいな動きをしていた。船体から
人間が落ちるシーンなども、既視感があった。
ちなみに今作のゴジラは、戦艦には横からバクっと噛みつけるくらいの
速度を出せるのに、神木キュンたちが乗っている木造船を追いかけるとき
は、いい感じにスリルを楽しめる距離感を保ちながら追いかけてくれる。
やさしい。
③スター・ウォーズ
エピソード9で、反乱軍の呼びかけに銀河中から船が集まってくる胸ア
ツシーンがあるけど、終盤で漁船が集まってくるシーンはそれを思わせ
た。
★悪夢再び
ゴジラを討伐する「ワダツミ作戦」において、沈めたゴジラを再び引き上げる際、ゴジラの抵抗にあってうまくいかなくなる。ワイヤーをつけていたクレーンが半壊する。
そこに小僧(名前忘れた)が呼んできた民間の漁船だかなんだかが集結してきて、みんなで漁船を引っ張る上述のシーンがある。
えっ、クレーンは?
船を増やして牽引力を強くするのはわかるけど、結局ゴジラに巻き付いてるワイヤーは最初の船のクレーンに接続されてるんじゃないの?
そんでそのクレーンが半壊してるんだから、みんなでもっと強い力で引っ張ったらクレーンが壊れるだけじゃない?
僕は力学とかわからないので、詳しい人が観たらなんか説明つくのかもしれないが、観てるときに不思議になった。
「悪夢再び」と書いたのは、これが「シン・ゴジラ」の「無人在来線爆弾じゃん!」と思ったからだ。
改めて僕なんかが言うまでもないことだが、シン・ゴジラでは自衛隊や米軍の攻撃を食らってもほとんど無傷だったゴジラが、爆弾を搭載した在来線の突撃を受けて倒れたりしていた。
これを観て
在来線爆弾>自衛隊、米軍
という不等式ができあがり、軍事の常識を覆すその試みにオタクたちは泡をふいて倒れた。
僕は軍事にも物理にも詳しくないので、今回のクレーン事件を観てもさほどショックは受けなかったが、これはあの時の悪夢の再来なのでは…と思わず周囲を見渡した。
★放射能なんて気の持ちよう
全体的に放射能の影響が小さく見積もられすぎている気がした。
銀座でゴジラが放射熱線を吐く。
該当地域の放射線量はとんでもないことになると思う。
しかも神木キュンはそのあと降ってきた黒い雨を全身にびっしょりと浴びている。
致死量の放射線を浴びて普通なら即死すると思ったが、違うのだろうか。
それとも、浜辺美波を殺された(と思った)怒りがあれば、そんなものへっちゃらなのだろうか。
人類の底力を見た。
素晴らしい。
それともこれは、タカシなりのビターエンドなのだろうか。
ラストシーンで、放射熱線の爆風でふっ飛ばされた浜辺が生きていて、しかもほとんど傷もついていないという奇跡が起きてあなたがぁはぁなぁならぁ!!と大団円を迎えるわけだが、二人とも多量の放射能を浴びているので、実際には近い将来にガンになって苦しみにのたうち回りながら死ぬ、そんなことわかってるでしょ?という悲劇なのだろうか。
それだったらそれで、冒頭から神木キュンを精神的に追い詰め続けていることと整合性がとれており、ドラ泣きに慣れ切った観客を奈落の底に叩き落すニクいラストといえる。
★マイナスワンの意味
マイナスワンの意味についても一応考えてみた。
①戦死者から、神木キュンが取り除かれてマイナスワン
神木キュンは生き残ったことに罪悪感を感じていて、今度こそ死ななき
ゃ、みたいに思い詰めている。また、浜辺美波も死んじゃって(と思っ
て)生きる希望も打ち砕かれているので、戦死者の集合体みたいなゴジラ
に突っ込んで同化するところだったのだが、吉岡秀隆の感動的な演説のせ
いだかなんだかで思い直し、生きることを選んだ。
途中まで神木キュンは一応死亡フラグなので、ゴジラ討伐の生存者から
神木キュンを引いてマイナスワンかなぁと思っていたのだが、逆転した。
②時代設定がマイナスワン
いろんな人が言ってることだが、一番最初の映画「ゴジラ」が1954年の
世界である。今作は終戦直後の時代なので、時系列的に前ということで、
最初のゴジラをゼロとしてマイナスワン。
③歴代ゴジラシリーズへの平身低頭ぶりがマイナスワン
ラストシーンの心臓バクバクは最初のゴジラのオマージュだったので、
ゼロのゴジラはマイナスワンのゴジラが復活したという設定にしてもいい
のかもしれない。
そうするとこれまでのゴジラシリーズもう一回見たくなるでしょーとい
うことで、まさに地面より頭を低くしてマイナスワン、先輩ゴジラを立て
る謙虚さに涙もちょちょ切れる。
劇中で神木キュンが一発芸のように机に額をぶつけてお願いするシーン
が出てくるのも、この映画の先輩ゴジラに対する謙虚さをシンボリックに
表そうとしたのかもしれない。
これをマイナスワン土下座と名付けたい。
また思いついたら順次追記したいと思います。