【大陸版アークナイツ】聖徒のコーデの話をするとしよう
2024年10月24日、聖約イグゼキュターのコーデ【志ひとつ】が公開された。親戚であり縁深いヴィルトゥオーサと対をなすコーデであり、幼少期の彼らと『何かあった未来』の彼らを描いたLive2D仕様のコーデである。
この情報を目にした時の私の衝撃の大きさは言葉で表現できるものではなかった。
何と言ったって、私のアークナイツはフェデリコ・ジアロに始まりフェデリコ・ジアロで終わるものだと言っても過言でないほど彼の存在は大きいのだ。
『推し』というやつだ。
さらに言えば義姉であるミステリアス・チャーミング=指名手配犯のアルトリアのことも超超超大好きだ。(ソシャゲの最高レアを人生で初めて自発的に完凸した)
ということで今回はジアロ姉弟のコーデの話をさせていただきたい。
この記事に読むにあたっては『ツヴィリングトゥルムの黄金』、公式コミカライズ『自由への奏音』に目を通すことを推奨する。
そして何より、筆者はジアロ姉弟のことをそれはもうびっくりしちゃうくらいに推している。6000文字をゆうに超えた文量がこの記事には含まれている。
長くなることを覚悟してほしい。
1.このコーデはとあるifである
まずはフェデリコのコーデの説明文を見ていこう。
対してアルトリアの【無我の唯識】がこれ。
皆さんご存知の通りサンクタの楽園ラテラーノは地下のなんかヤバそうな機械、通称『アレ』によって示された『法』に従って運営されている。
そしてアレくんが歴代教皇以外で初めて選んだ『聖徒』がフェデリコ・ジアロであり、彼と対極をなす価値観を持つアルトリアもまた聖徒であることがわかっている。
これらのコーデのテキストからわかるのは、「おそらくこのコーデはフェデリコとアルトリアがそれぞれの独断で『新たなラテラーノの法』を執行した時に導かれる国のかたちを示唆している」ということ。
シナリオ進行RTA走者であるフェデリコと、感情解放系迷惑おねえさんであるアルトリア。
彼らのあり方の極端さをドクターたちは理解していることだろう。
このコーデでフェデリコは共感によって結ばれているサンクタたちの意識を完全に統一し、効率的・機械的な群体を作り上げている。そして彼はその群体の核なのだ。
人の持つ感情をうまく理解できない彼はより無駄のない存続のために、感情を持つサンクタたちを機械的な歯車として定義しました。
アルトリアの方はというと、こちらも群体を形成しているのは同じだ。
ただ、フェデリコの方が感情を削ぎ落とすことによって作られた群体であるとするのなら、アルトリアの方は感情によって結びつけられた群体なのである。
アルトリアはより良い世界のために人々が「真実の感情」を共有することが必要だと考えている。このコーデで示唆されるifの未来においては自分自身を含めた全ての人を文字通り「ひとつ」にしたのです。
2.交錯する過去と未来、そして現在
このコーデには不穏なifと共に過去の彼らが描かれている。
フェデリコの方には幼少期の彼だけでなく狙撃時代の彼の後ろ姿も描かれている。
フェデリコが身に纏った衣装にはオレンジ、青、赤が施されている。
ピンとくる人にはくるはずだ。
今までに彼が纏ってきた衣装の色だ。
この青色について、ロドスのイメージカラーであるという説もあるが、今回は狙撃コーデからの着想という前提で話を進ませていただく。
狙撃コーデのテキストには「ご安心を、私より彼女の敵となるに相応しい者もいないでしょう」とある。聖約イグゼキュターのコーデがヴィルトゥオーサのコーデと対をなしていることを踏まえれば彼女との対立関係をテキストに表したこのコーデは重要な役割を果たすと思う。(まあこのコーデ、「公証人役場執行人、そしてロドスオペレーターとしての彼が追跡調査をする際の服」ともあるからロドスカラーってのも間違いでもないと思う)
彼をイメージする色を使うことで、幼少期から順に彼の人生のターニングポイントを追っているのがこの【志ひとつ】なのだ。
対してアルトリア。
フェデリコの変化については聖約イグゼキュターを入手した人や『空想花庭』を読んだ人はすでに知っていることだろう。だからこそ彼の【志ひとつ】では彼が現在に至るまでの道程が描かれた。
喪服を着た幼少期のアルトリア。その周りには平面的に描かれた彼女の家族のイラストが切り貼りされている。その背景には彼女が潜ってきた、あるいは彼女を招いているように開かれた扉と螺旋階段。
大人になった彼女の周りには家族のイラストはなく、背後に広がる螺旋階段はより明るく大きくなっている。幼い彼女の前に開かれていた扉は壊れ、代わりに未知の空間が宇宙のように広がっている。
実装イベント『ツヴィリングトゥルムの黄金』でエーベンホルツくんのおじいちゃん、巫王に見事に論破されたアルトリア。
お前という容器は「空」である、と。
彼女は母の葬儀で見た生々しい感情と、それを隠して母の死と向き合っているフリをしていた大人たちの存在に衝撃を受け、怒りを感じました。
葬儀会場に広がっていた芝と降り注ぐ雨の景色から動けないままだったのです。
空っぽのまま、動けないままだったアルトリア。ただ1人演奏を続けていたアルトリア。
【無我の唯識】もまた彼女のこれまでのあり方を如実に表している。
3.このコーデのやっぱ辛いぜポイント
みんな知ってる?フェデリコって実は画伯なんだぜ。それも本来の意味での画伯。
サンクタが持つ共感機能が生まれつき備わっておらず、人の心の機微に疎いフェデリコ。
今は亡き両親がそんな息子が感情というものに少しでも近づけるように教えたのがドローイングだった。
大きな感情を前にした時──たとえば同僚の死について追及された時、姉の演奏によって家族に亀裂が走った時。フェデリコは絵を描く。
自分には理解できないものを理解するために、フェデリコは幼少期から絵を描くことで思考を整理してきた。
理解できないものを理解しようと試行錯誤する……それは私たちドクターから見てもうかがえるフェデリコ・ジアロという男の側面だ。
アルトリアもまた、生まれつき特殊な能力を備えつけていた。備えつけてしまっていた。
演奏を介して流れ込んでくる生々しい感情に幼いアルトリアは戸惑い、怯えた。
今も手放さないでいるチェロを「しまってきてほしい」と弟に頼むほどに。
しかしフェデリコとの対話(この時もフェデリコはラテラーノの景色を描いている)を経て「きっと正しい演奏方法を見つけるわ」と向き合う覚悟を決めるのだ。
そしてラテラーノが夜になった時、最初に明かりがつく場所がわからないが故に筆が止まったフェデリコに約束する。
アルトリアが人々を解放する旅をしてきた理由の根源は母親の教えにある。
公式コミカライズ『自由への奏音』で、母からされた読み聞かせ。幼い頃から縛られているうちにそこから抜け出す勇気を失った巨人が主人公の言葉を聞いて自由を手に入れる物語。
「その後も危険なことがあるかもしれない」と訊くアルトリアに母は答える。
「したいことを自由にできるのよ。きっと嬉しかったはずよ!」
これらのエピソードからわかる通り、フェデリコとアルトリアは幼い頃から自身が持つ、感情が関わる課題について暗中模索を続けてきた。
そして「感情と向き合う」という課題はそれ自体が家族との繋がりと強く結びついているのである。
狙撃イグゼキュター回想秘録2『敵』にて、アルトリアの実父でありフェデリコの叔父、養父であるマルチェッロは成長したフェデリコにこう言う。
また、『ツヴィリングトゥルムの黄金』で描かれたアルトリアの母ルチアーナの葬儀での事件の最中でのアルトリアの独白。
狙撃イグゼキュター回想秘録2『敵』ではアルトリアとの因縁を語ると同時に「甥」としてのフェデリコの側面が描かれた。
『ツヴィリングトゥルムの黄金』終盤では一貫してアルトリアの本質的な弱さが強調されていた。
雑念を排除し任務に打ち込み常に最速の最適解を叩き出す理性的で誠実、その瞳に一点の曇りもない執行人。
神秘的な脅威を孕んだアーツ能力を持ち、人々を理性から解放することを至上とするミステリアスな指名手配犯。
それ以前に彼らは血の通った一個人なのだ。
故にこそ、今回のコーデには個人的に胸を痛めた。
誰とも共有できない感覚を有して生まれてきてそれでもなお答えを求めて生きてきたフェデリコが、思ってもいない言葉と表情で誤魔化して人の死と向き合わない人々に怒りを覚えると同時に自身も自分の心から目を背けてしまったアルトリアが、ただの無個性の一角として文明の歯車を回している。
皆さんは聖約イグゼキュター、ヴィルトゥオーサの新年ボイスを聞いただろうか。
フェデリコ・ジアロは自分に不要なものに対しても「あなたに喜びを与えるものなら」と受け入れることができる男だ。
(※アークナイツ4周年記念のリアルイベントでの撮り下ろしボイスも是非聴いてみてほしい!)
アルトリア・ジアロは相手の感情を引き出そうとはするものの他者の心を無闇に踏み荒らそうとする悪意は持っていない。
そんな2人が人々の精神を統合し、文明の一部に組み込んでしまったif。
もしかすると、その人々の中には彼らを育てたマルチェッロ叔父さんがいるかもしれない。
ごめん、めっちゃ辛いわ。
人の心と向き合うことを人生の命題とし、人と人の間で生きてきた推しが自分を含めたあらゆる人間性を捨ててラテラーノの『アレ』(=法であり神)と一体化した。
推しが人から神になった。
辛い。
4.カンディンスキーと『ツヴィリングトゥルムの黄金』が示すラテラーノの、そして2人のこれから
色々なエピソードを交えながらコーデに対する個人的な解釈と感想を述べてきた。
「めっちゃ辛いわ」ということで、ここからは2人のこれからについての希望的観測を書くことにする。
フェデリコの人生において、「描く行為」は大きな役割を果たしているというのは前述した通りだ。
ここで見てほしいのがコーデ使用時の聖約イグゼキュターのスキルエフェクト。
何やらオシャレな図形が出ているが……
おそらくこれはロシア出身の画家カンディンスキーの《コンポジション》シリーズをモチーフにしたものだろう。
コンポジション……作曲の意である。むむっ。
カンディンスキーは音を色として捉えることのできる共感覚を持っていた。
そこで、音を色で表現した創作を始める。
彼は著作『抽象芸術論──芸術における精神的なもの』の中で、このように述べた。
お察しの通り、この理論はアルトリアが掲げるものとシナジーがあるのだ。
このコーデに限らずフェデリコとカンディンスキーには繋がりがある。
カンディンスキーの作品に《空の青》がある。
聖約イグゼキュター秘録『青』ではやたらめったら天井を破壊するフェデリコが空を見つめることを通して「青」という色彩について思案する様が描かれている。
そしてフェデリコはドクターに「青が好き」としれっと打ち明けてくれるのだ。
カンディンスキーもまた、青を愛していた。著作『抽象芸術論──芸術における精神的なもの』の中でカンディンスキーは「青は空の色なのだ」と述べている。
フェデリコのキャラクター造形の一端にカンディンスキーの存在があるとしたら、カンディンスキーの音と色、人間の魂に関する理論も同様に彼に引き継がれているのではないだろうか。
フェデリコとカンディンスキーが触れている青い空。青く晴れ渡った空には日の光が降り注いでいるものだ。
『ツヴィリングトゥルムの黄金』にて、アルトリアはフェデリコとの因縁をこう語っている。
そう。アルトリアからすればフェデリコは白日であり、自身は闇夜なのである。
『ツヴィリングトゥルムの黄金』ラストではアルトリアとフェデリコはリターニアに訪れた夕焼けを分かち合った。
夕焼けが見える時間は白日と闇夜が同時に存在する時間だ。
この記事の序盤で私は【志ひとつ】【無我の唯識】はそれぞれの独断で『新たなラテラーノの法』を執行した時に導かれる国のかたちを示唆していると述べた。
フェデリコが感情の意義に対する問いを切り捨て、アルトリアが自分を見つめ直すことを放棄した未来だ。
しかし、対極にある2人が共にあれたなら?
そんな希望を示してくれたのが『ツヴィリングトゥルムの黄金』のラストなのではないだろうか。
そして自身の心と向き合ったのちに幼い日の弟との約束の答え合わせをしたアルトリアが辿り着いた場所、アンブロシウス修道院でよ経験を経て新たな問いを抱いたフェデリコと向き合う相手がいる場所。
アルトリアとフェデリコが現在進行形で同時に存在している場所。
それがロドスである。
彼らの「向き合う姿勢」を否定せず、対話することのできる場所。
ただでさえディストピアじみたラテラーノがさらなるディストピアになることを防ぐ鍵がこの場所にあるのだろう。
5.最後に
以上が今回の考察となる。
といっても、最推しとその因縁お姉ちゃんのニコイチコーデが来る事実でいっぱいいっぱいなオタクはコーデボイスを聴くことができていない。
次回はボイスも含めた話をできたら良いなぁ……と思ってはいるが、正気を保てている保証もないので「またジアロ姉弟の話がしたいよ!」とだけ言っておこう。
長々と書き連ねましたがここまで読んでくれた方にはお礼を言いたいです。