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自殺のススメ

 昔から虚無主義というか無気力で何に対してもやる気が起こらない人間だった。今までは流れるままにわりと努力もせずに生きてこれた。でも大学生になって、『これはもういよいよどうしようもないな』と思って、死ぬことにした。自分が無気力の虚無主義だと証明するには死んで見せるしかないと思った。

 首吊りは死んだ後うんこ漏らした状態で見つかるらしいから嫌だった。飛び降りも考えたが飛び降り自殺者の多くがビルに靴を脱いでそろえて死ぬらしく、靴下とか裸足とかで死ぬのもダサいから嫌だった。想像してみても普通に部屋にいるみたいな様相で死んでいるのは笑えてくる。どうせ死ぬならある程度人間の尊厳を保って死にたいと思った。じゃあ、三島由紀夫みたいに大勢の前で腹を掻っ捌いてカッコよく死ぬしかないと思ったが今の時代ネットに祭り上げらるのは勘弁してほしいから辞めることにした。


 結局自分のマンションから靴を履いたまま飛び降りで死ぬことにした。大学2年生の夏だった。頭の悪い僕が『熱帯夜』と決めつけても誰も異論を挟めないぐらいのテンプレートな暑い夜だった。あえて最上階ではない8階ぐらいから飛び降りようと思った。熱帯夜であったが人が死ねるぐらいの高さには自殺を促すほどの心地のいい風が吹いていた。イヤホンして自動再生で音楽を聴いていた事も影響していたと思う。死ぬ時は恐怖心があるのだろうと思っていたが意外や意外、建物のへりに立ち思ったことは足の裏から全身に感じる高揚感だった。今までに感じた事のないようなヒリつきも感じた。何かとても楽しくて嬉しい気持ちになった。あと1歩だと思ったその時、聴いていた音楽の境目で曲が変わった。聴いた事もない曲になった。この曲で死ぬのは嫌だなと思い1度建物のへりから降りて好きな曲に変えようとした。


 そこで気づいた。何か恐ろしい事をしようとしていたのではないかと。何かの催眠にでもかかったように死ぬ事に楽しさを見出し吸い寄せられるように建物のへりに立っていた。さらに死んだところで自分の虚無主義が証明されたか確認する術がないことに気づいた。
そんな事を思ったらその場で死ぬ気が失せてしまった。


 もし死んだ後1日ぐらい魂としてこの世に居られるなら『ほらな?俺は無気力な人間だっただろ?』って友人に言って喜んで死ぬだろう。でも1日魂フリーパスがない以上は今後僕が自殺しようとする事は無いと思う。死は恐ろしい。同時に楽になる事でもある事を身をもって感じた。しかし、死が救済であるとはどうしても思えない。結局何が言いたいかというと自分がダサい人間だって事なんだと思う。『死にたい〜』とか言って心配や同情が欲しいメンヘラなわけじゃないし、過労とかでもない。漠然と死にたい人間もいるのではないかと思う。
現代っぽいね。

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