黒田官兵衛の力ある証明エピソード
1.「関ヶ原の戦いがもう1ヶ月も続いていれば、中国地方にも攻め込んで、華々しい戦いをするつもりであったが、家康勝利が早々と確定したため何もできなかった。」と吉川広家に手紙を送ったそうです。
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ということは、官兵衛が天下を狙っていって言うことかな。
2.秀吉は側近たちに自分が死んだら誰が天下を取るか訪ねたとき、側近は徳川家康や前田利家をあげましたが、秀吉は「官兵衛がその気になれば、わしが生きている間にも天下を取るであろう」といったそうです。
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官兵衛はその時結構力があったってこと。
でも、なんで天下取りに行かなかったのかな、と思いました。
3.前田利家は秀吉に「秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり」という文面の手紙を送ったそうです。
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加賀百万石の前田利家も「官兵衛に気をつけろ」って。
でも、その時の官兵衛の力がすごかったんでしょうね。
という感じでこのとき官兵衛は相当な力があったということです。
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