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私が実現したいことは、もう実現していたことに気がついたこと。

私はエイブラハムのことはよく知らない。
かろうじて人なのだろうということは知っている。

よく知らない人ではあるが、今年2月くらいに、「願望を紙に手書きで書くだけで実現する」という話をYouTubeできく。

よくある話だが、その時なんとなくやってみようと思ってやってみた。

嫌なことをやめてみたシリーズは、その延長線上にあると考えると、これもまた変化への布石だったのだろうと思う。

これはとても面白いのでぜひやってみてほしい。なぜなら本当に願望は叶うのである。

もちろん、まだ叶っていないものもある。それは「夢の途中」として置いておいて、小さな願望なら、面白いくらいするすると叶う。

ここで気がついたのは、叶うということは、叶っていることに気がつくということだ。

私の息子がまだ小さくて手が離れないとき、いつかこんな服を着て秋服を楽しむんだ!と、ノートに服のイラストを描いていたことがある。
そのノートがたまたま離婚騒動で部屋を整理していた時に出てきて驚いた。
私は今その服を着ていたのだ。

自分ほど気分屋で、願いがコロコロ変わってしまう人はいないだろうと思っていたが、定期的に同じようなことを願うらしい。

これはおそらく、私という存在が同じような選択をすることをあらわしているのだ。運命論があるとしたら、そういうことなのだと思う。 

まっすぐと右にしか行けない人がどんな場所にたどり着くか想像できるように、
私という個性を持った人間が行き着くところは大抵決まっているのだ。
つまりそれを変えたければ、自分を変えるのがいいのだ。
意識を変え、行動を変える。
もっと言ってしまえば、「自分を変えたくなる」このことさえ、運命論の枠組みの中なのかもしれない。

とは言え、少し忙しくなったりすると、すぐに人は日常の「叶っている」現実を見失う。

アレが足りない。
あ、これをもっとこうしなきゃ。
最近こんな状態だったからちゃんとやらなきゃ。
もしかしたらこんなことをしたらこう誤解されるかもしれない、ちゃんとしなきゃ。


断言する。

「ちゃんとしなきゃ」と思い始めたら、疲労のサインだ。
休むなり運動するなり何もしないなり、とにかく一度適当になること。リラックスすること。
この、ちゃんとしなきゃは他人に伝わる。
人に好かれたいという力みだ。
この力みはが相手に伝わるとどうなるか。

感じた人は居心地が悪くなって離れていくのだ。
人は運を運んでくる。
つまり、運も離れていく。

人生において力んだら即死くらいに思っておくといい(プリミ恥部さん名言)。

改めて私は日常を見渡してみた。

夫と別れ、息子と暮らしている。
古いけれど陽がたくさん入る可愛い借家に住んでいる。
助けてくれる人がいる。
お風呂に入れて、眠れる。
ご飯が美味しい。
お酒が美味しい。
好きなお客さんばかり。
私を好きと言ってくれるこども、男(だめんず含む)たち。
少ないけれどかわいくて頼りになるだいすきな女友達。

私の願いは、日常をゆったり過ごすことだ。
売上を上げるために忙殺されていた日々は、3ヶ月ももたなかった。
そのことが私に、本当の願いに気づかせてくれた。

私は出会いを面白がりたい。
人との出会いで、自分が拡大されていくのを楽しみたい。
今日はどんな人と出会うだろう、と考えるとワクワクする。
どんな運命が敷かれているのだろう。
私はどんな選択をするのだろう。




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