水深30cmの溝に落ちた話
ある人の家を探していた。
その家に行く用事があって、スマホのナビで地図を見ながら田んぼのあぜ道を歩いていた。
私の家から歩いていくとしたら、どの道順が合理的なのか等、頭の中で様々なことを考えていたら、右足を踏み外して水深30cmほどの田んぼの用水路に落ちてしまった。
足が痛い。
結局その日はその家に行くのをやめて家に帰った。
次の日の朝、痛みが治まらないため、家族に頼んで外科に連れて行ってもらった。
「溝に落ちて足が痛いんですが、どこが痛いのかわからないんです」
と、足の甲を先生の前に出した。
足が痛いのは確かなのだが、自分で触ってみても、いったいどの部分が痛むのか私にはわからなかった。
「ここは痛みますか?」
と、先生は足の甲の一部を強く押した。
「痛くありません」
先生は別の部分を押した。
「ここは痛みますか?」
「痛いです!」
私があちこち触っても痛む箇所が分からなかったのに、先生は2回触っただけで、痛みのある部分を突き止めた。
レントゲン及びCTを撮った後、先生から説明があった。
「ひびがはいっていますね。ギプスをつけましょう」
ギプスをつけた後、看護師さんから松葉杖の使い方の指導を受けた。
「脇の下に松葉杖を入れたらダメ!血液が圧迫されるから、そこには絶対に入れんようにしてな」
「なぁんかおかしいなぁ」
私が松葉杖を使うのをみて看護師さんは首を傾げた。
松葉杖を使うのは難しい。
「ちょっと来て」
看護師さんがもう一人現れた。
「こうやってするんや」
二人の看護師さんが交互に私の前で松葉杖を使って見せた。
そのあとで私が松葉杖を使った。
「なーんかおかしんやけどなぁ」
違う、違うと言われながら、20分くらい松葉杖の練習をした。
「ちょっとましになったわ」
看護師さんがそういったあと、
「私はあんまり外には出ませんから」
と私が言うと、
「その方がええな」
と看護師さんは同意した。
家の中で松葉杖は使えない。
松葉杖を使うと、鴬張り風の廊下の床が抜けて穴が開くかもしれない。
私は片足ケンケンで家の中を移動した。
今まであまり運動をしてこなかったが、片足ケンケンをすると、縄跳びをしているようで、体にいいんじゃないのかとも思えてきた。
買い物は家族に頼み、右足を椅子に乗せ、左足で立ち、料理や洗い物をした。
片足ケンケンでトイレに行き、台所に行き、居間に移動した。
二週間経過した。
左足でケンケンをしていたら怪我をしていない方の左足の関節に痛みが出てきた。
私は仰向け状態で左足と両手を動かし、スパイダーマンのように移動して匍匐前進ならぬ仰臥前進を始めた。
廊下を仰臥前進で移動していたら、突然ドアが開いて家族が出てきた。
「音が全然しないからびっくりした」
片足ケンケンは大きな音がするが、スパイダーマンは音がしない。
四週間が経過した。
ギプスが外れた。
「二本の足で立つことができますか」
私は立つことができずに倒れてしまい、先生の椅子の手すりにつかまった。
ギプスは外れたが、病院内を車いすで移動し、病院から外に出て、初めて松葉杖を使った。
松葉杖を使って両足で歩いた。松葉杖をつき、右足を動かし、松葉杖を動かし左足を動かす。
ギプスをしている間は一度も松葉杖を使わなかったが、ギプスを外した後は松葉杖を使った方が歩きやすい。
松葉杖を利用した期間はギプスを外して2日間ほどだった。
私は歩けるようになった。
しかし、怪我をしていなかった左足の関節の痛みが取れなかった。
私は再び外科に行きレントゲンを撮った。
先生はレントゲンを見ながら説明した。
「膝に負担がかかっていますね。水の中を歩くのがいいですよ」
「水の中を歩く?」
「ええ。水の中を歩くのはいいですよ」
私は人魚ではない。水の中を歩くにはどうすればいいのか。
人魚は足がないから歩けないが。
「それから、上半身を軽くしてください。体重をこれ以上増やさないように」
最近の医者は「痩せてください」というとパワハラに該当するかもと恐れているのだろうか。
常日頃運動をしない太った人間が片足ケンケンで移動すると膝に負担がかかり、関節を痛めてしまった。
片足で縄跳びをしている、と自尊していたのがよくなかったらしい。
縄跳びは両足でするからいいのだ。片足での縄跳びは小学校でもしない。
そして、水深30cmの溝に片足を落として骨折したように、私はそれほど若くないのだと改めて感じた。