私は運動ができない#2
私は運の悪い人間だと思っている。
運の悪さを表すひとつに保健体育の先生が中学2年のクラス担任であったことをあげる。
中学2年の期末懇談、担任はこう言った。
「保健体育を蔑視しています」
私は保健体育を蔑視などしていない。
座学にしろ実技にしろ私は真剣に授業を受けていた。
ボール投げの記録はクラスで最低だった。
「真面目に投げたら」
先生はそう言ったが、私は真面目に投げていた。
ただボールが短い距離でポトンと落ちているだけである。
バレーボールをしていてボールを弾くと
「ぱあん!!」
とものすごい音がした。
即座に
「掌でボールをあてずに指でボールをあてるように!」
と先生の声がした。
指ではじくということは頭ではわかっている。
しかし現実的にボールが自分の前に来ると咄嗟に掌で弾いてしまうのである。
「今の音は凄かったなぁ」
と、隣の人が私を見て笑った。
それを聞いた私が「確かに」と言って笑った。
それを見た先生は私がふざけていると感じたらしい。
低い位置のボールを手首を使ってキャッチしていたら、手首以外の場所にあたり、手首から肘まで両方の前腕の内側が内出血で赤い斑点や青い斑点が広範囲にできていた。
「それどしたん?」
友達が私の腕を見て聞いてきた。
「バレーボールをしてたらこうなった」
「バレーボールでそんなとこあたるかなぁ」
「私の場合はあたるんだ」
私は満身創痍でバレーボールの授業を受けていた。
決してふざけてなどいなかった。
背が高いせいか、バスケットボールのフリースローは100発100中でNBAからスカウトが来てもおかしくないくらい私には才能があった。
しかし、私はボールを取ることができない。そして投げようとしても届かない。それはクラスでは周知の事実であったため、だれも私にボールを渡そうとはしなかった。そうなるとバスケットボールの時間は退屈になる。みんなが真剣にバスケットボールをしているとき、私は暇でコート内をうろうろしていた。
先生は、私はわざと遊んでいると考えたらしい。
すべてができないわけではない。
持久走では私はトップクラスの記録を出していた。
「疲れた様子が全然みえない」
先生はそう言った。
実際疲れていなかった。
小学校の頃自転車に乗れなくて、ずっと歩いていた結果がここに出ていた。
そしてペーパーテスト。
テスト前、先生は10枚くらいのプリントを宿題に出したが、解答は最後まで渡してくれなかった。
「解答を渡して、丸暗記したらそれは力にはなりません。自分で調べて自分で答えを見つけてはじめて力になります」
試験前に1時間以上、もしくは2時間ほど時間をかけて、教科書を読み、答えを調べ、プリントに記入した。しかしながら、私の頭の外側の細胞は保健体育の知識を跳ね返すという技能を備えていた。
保健体育のペーパーテストは底辺を漂っていた。
その一方で、小学校の頃から塾に行っていたせいか、数学や英語や国語はトップランクに位置していた。
君怒りたまふことなかれ
運動音痴の中に在る我を歎きて
あゝわが師よ、我は泣く、
君怒りたまふことなかれ、
無学の親より生れし我なれば
親のしごきはまさりしも、
親は鉛筆をにぎらせて
人を落とせとをしへしや、
人を落として上がれとて
十四までをそだてしや。
〇〇の町の労働者の
毀誉褒貶を気にするあるじにて
親の期待に応える我なれば、
君怒りたまふことなかれ、
保健体育は蔑視とも、
蔑如するとても、何事ぞ、