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私は運動ができない(運動会)

体育の授業の前の休み時間、運動場の隅っこで、半円形になって数人の女の子がピンクレディの「渚のシンドバッド」を歌っていた。
その囲みの中心に「渚のシンドバッド」を完璧にコピーして踊っている女の子がいた。
私は彼女の踊りの一挙手一投足をしばらく見つめていた。

テレビの録画機能がまだ一般家庭に普及していない時代である。
どうやって覚えたんだろう、と思った。
それと同時に、なんでこんな意味のないことを覚えるんだろうとも思った。
踊りが終わり、何人もが拍手をした。
私も拍手をした。
「凄い、凄い」と誰もが言った。
本当に凄いと私も思った。

私は運動会の踊りを覚えるのが苦手だった。

短距離走がからっきしダメな私にとって、運動会のクラス対抗リレーとか地区対抗リレーとかは無縁のものだった。
メンバーに選ばれることは絶対にありえない。

「がんばれ~」と口では言いながら心の中では他のクラスを応援していた。
運動会のリレーとか本気で応援する人は参加しているメンバーか、もしくはその家族しかいないと思っていた。

その運動会のメイン競技が学年ごとの踊りである。

男の子は器械体操。女の子は音楽に合わせた踊りを踊っていた。
夏休みが終わり、二学期が始まるとすぐに、女の子は運動会の踊りの練習に入った。
ほかの教科が臨時的に体育に変更となり、体育の授業は時間割から増えていった。
私たちは運動会のダンスを何度も練習した。
私はダンスを覚えられなくて前の子の踊りの動きを見てそれを真似して踊っていた。

ある時、先生が
「前列の人たちは前にでて来て、後ろの列の人の踊りを見てください」
と言ったため、私の前の人はいなくなり、先生とともに私たち後列の踊りを見ることになった。

そして、わたしは踊った。
しかし、私は踊りを覚えていないのである。
隣の人の踊りを見ながら、ワンテンポずれた間違いだらけの踊りを踊ることになってしまった。
前の方から「勉強ばっかりしているから」という声が聞こえた。

私は家で勉強はほとんどしていなかった。
週2回の英語塾に行き、週3日の数学塾に行き、学校で勉強し、塾と学校で同じことを2回も学んだら誰でも勉強はできるようになると考えていた。
あの子は塾に行って同じことを2回も学んでいるのになぜ勉強ができないのだろうと思っていた。

しかし、私は同じ踊りを10回以上踊っても覚えることができないのである。
どうして、みんなは簡単に覚えることができるのだろう。
踊りを覚えていないのはおそらく私ひとりだったような気がする。

踊りが終わった後、先生が私の前に来て言った。
「踊りを覚えてないの?家で練習をしたほうがいい」

家に帰り、私は運動会の踊りの練習をした。

大人になって、意識高い系の人が
「あの人は学習能力がない」
という言葉を発するのを何度か耳にした。

「学習能力がない」
それは私そのものだった。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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