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【鑑賞メモ】B・A・ツィマーマン『軍人たち』(2024年1月18日/演出カリスト・ビエイト、指揮フランソワ=グザヴィエ・ロト、ギュルツェニッヒ管)

ケルンのビエイト演出のツィマーマン『軍人たち』は事実上演奏会形式。ポディウム席をステージにして客席と地続きの物語にしたい意図はあったのかなかったのか。あったとしたらちょっと弱い。なぜならニュルンベルクのコンヴィチュニー演出の最終幕では観客をステージ上に移動させて閉じ込めしまいクラスターを浴びせたわけで。しかしいずれにせよコンヴィチュニーもそうだったが、この作品演出の肝はいかにして観客に当事者性を突きつけることができるかどうかだ。

男根中心主義が性差の別なく社会では作用して「弱き者」は徹底的に貶められていく。マリーが男に弄ばれ社会から見捨てられていくのは親ガチャでも環境のせいでもなく制度に支配された私たち/軍人たちによるものだ、といったところがビエイト演出の意図だろうか。

ビエイトは最後に二人のマリーを見せる。凌辱され滑落したマリーと、そうではない、あるいはそうなる前のマリー。「娼婦はずっと娼婦」と嘲笑う軍人は客席にいる私たちなのに、やんやの喝采は異化的にしか響かない。バッサバサと混濁なくスコアを音化していくロトの指揮が凄技で、そのサウンドに圧倒され思わず喝采をしたくもなる気持ちもわからなくはない。救いようもないドラマを理解する理性は、フィジカルに訴えてくる音響によって殺がれていく。その断裂に気づいたひとは客席にどれくらいいたのだろう。 
(鑑賞日 2024年1月18日、ケルンフィルハーモニー)
※Xへの投稿を加筆修正のうえ再掲

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