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嫁・姑 忘れられない昔のこと

嫌な記憶は、きれいさっぱり忘れられないタイプです。
時折、記憶の中から《忘れるんじゃないぞ!》と言っているかのように蘇ってきて、いろんな感情でグチャグチャになってしまい、ものすごく疲れてしまいます。
今日は、そんな負の感情の大部分をしめる《姑》の愚痴話です。

我が家は、嫁・姑問題で別居になった家庭です。
今は、すったもんだの末に半絶縁。
姑と数年ぶりに会ったのが、舅の葬式という状況でした。
舅も人として最低な人だったので、別居してからはほとんど会わなかったし、孫にもろくに会わせませんでした。

姑とは、最初から『あぁ、気に入らないんだろうな…。』というのは感じていたけれど、何とか仲良くなれないか、気に入ってくれるように努力しなければ…と必死な時もありました。
それも、こちらの一方的な思いで、無駄な努力でした。
旦那は一人っ子。息子を手放す気のない姑にとっては自分の思い通りにできるのが当然。
嫁より自分優先は当たり前。嫁優先はあってはならない。
昔のような嫁奉公して当たり前なのにそれをしないうちの嫁は気に食わない!な人でした。

姑は、私に対してはもちろん、私の実母に対しても、けん制するような嫌な物言い、あからさまにバカにした態度、嫌な態度をしていました。
家がそこまで遠くないので、実母からお中元・お歳暮を贈ると姑が私実家にお返しを持って行くのですが、その時の態度が酷くて、実母はカンカンになって怒って私に愚痴り…を繰り返していました。
とても気まずく、お中元・お歳暮のやり取りもしなくていいし、付き合いも考えなくていいと私から実母に言いました。

このことについて、旦那は自分の親に注意すら出来ず、だんまり。
本当に今思いだすだけで腹立たしい出来事です。

姑は、気に食わない出来事があったり、自分の思い通りにならないと、たとえ理不尽であろうと私に感情をぶつけ、怒鳴りつけてくる。
まだ、携帯が普及する前、出かけた旦那が帰らずの中、連絡を取りたかった姑から電話がきて
姑『息子にかわって。』
私『すいません。まだ帰ってなくて…。』
姑『何時に帰るって?』
私『わかりません。いつも連絡なしで急に遅く帰って来るので…。』
姑『ちゃんと連絡入れるように言っておかなきゃダメじゃない!!!』
と叫ぶように怒鳴られガチャ切り。

もうね、連絡もせずに遅いのはお前の息子だろうと。私じゃないだろうよと。
今だったら平気で言い返せるんですけどね。
当時、二十代前半の小娘には、姑に怒鳴られるなんて恐怖でしかないですよ。
あなたの息子は、あなたの《嫁は下にみろ》《嫁になめられるな》の英才教育のおかげで、自分のやりたいようにしかやらない、頼んでも聞いてくれない、立派なモラ夫になってましたし、自分のせいでしょう。

こんな性格の姑なんで、気に食わない人がご近所に引っ越してきて、トラブルになったこともあります。
これは、全面的に姑が当たり前に悪いのですが、相手が大人しいと思っていたのが全面戦争も辞さない構えのタイプの方で、大騒ぎになったことがあり、息子にヘルプ要請をしようとしたら誰も家にいなくて、
姑『なんで家にいないのよ!!!』
と怒鳴りつけられました。主に私が…。

休日に出かけたらいけませんか?って話です。
自分の息子に言いなさいよってことも、とりあえず私に怒鳴り散らす。
それを見ていても、旦那は何も言わず。
こんなこと、数知れず…でした。

結婚後、二年ぐらいしたら実家に戻るようにも言われていたのですが(子作りに二年あれば十分だろうということですね。あほくさ。)、子どもが出来ないのに同居しても地獄ですから、のらりくらりとかわしながら、別居していました。

その間にも家を買い替えるから親子ローンを組ませろだの、家は買い替えないといい家には住めないだの言われ(どこのお金持ちの話だよ…。低所得者層には一生に一度の買い物だよ…。)、こんな頭のおかしな話にのるような人は、なかなかいないと思うのだけど、それにうんと言わない嫁は気に食わない!に拍車がかかったのだと思う。

子どもが生まれてから、後に同居することになったのですよ。辞めときゃいいのに…。
息子が生後四か月の頃にいろいろな事情で、同居に踏み切ったほうがいいのかな?そういうタイミングなのかも…と思ってしまったんですね。
本当にバカでしたし、騙された…。

姑がね、優しくなったんです。
妊娠中から、とても気遣ってくれて、無理なことは言わなくなったし、穏やかになった。
旦那が一人っ子で、いずれは親の面倒を見なければいけない…という気持ちもあったし、一緒にいても苦痛ではなくなった、楽しく過ごせるようになったというのもあって、これならやっていけるかも…孫が生まれて丸くなったのかも…とバカなことを思ってしまったんですよね…。

それもこれも全部ポーズ。
息子が孫を連れて戻ってくるには、嫁を丸め込まなければ…ってところでしょうか。
まんまとハマってしまいました…。

同居後、ほどなくして姑が本性を現し始めました。
オーソドックスないびりから、(目の前でこんなに汚れてる!って、拭いて見せて、掃除もしないで!っていうの本当にするんだよ。こういう人)周りの人がドン引きするようなことまで。
親戚の葬式で、知らない場所に置き去りにされたこともあります。わざと…。
気付いた親戚が慌てて迎えに来てくれましたけど、旦那は姑に『他の人が迎えに行くから大丈夫だ。』と言われたとかで、来ませんでしたね。
思いだしても、悔しくて涙が出てくる。

理不尽なことで怒鳴りつけられたり、暴言はかれたり、近所の人にまで悪口を言われ、姑には散々なことをされたけど、たとえ姑が死んでも、許せない!と思うことがいくつかあります。

同居直後、頼んでもいないのに姑がお風呂にいれるから、息子を連れてくるように言ってると旦那に言われ、『自分でいれるから!』と言っても、姑に逆らえない旦那が困った顔をしながら、息子を連れて行ってしまいました。
それからずっと姑が、息子とお風呂に入るのが当たり前に。

一番かわいい盛りの頃、私は息子とお風呂に入れませんでした。
だんだんと動き回り、手に負えなくなってきた二歳半の頃に
『あとは自分でいれられるでしょ。』
と突然返されました。
あの時間はもう戻らないので、もうね…。思いだすだけで胸が詰まります…。

それ以上、私は息子を取り上げられないように必死でした。
どんなに具合が悪くても自分で息子の世話をし続け、高熱を出しても解熱剤を飲みながら育児をして、姑に頼むことは絶対にしなかった。
具合が悪くても子どもの世話をする私に旦那は
『熱があっても動けるなんてすげぇなぁ…。』
と言いました。
すると姑、
『女は丈夫にできてるから。』
と言い放ちました。
この人たちは、最低なことを言っている自覚はないんだろうなぁ…。
そう、熱があるぼんやりとした頭で思っていました。

そして、どうしても許せないし、許すつもりには絶対にならない事。
病気をして、認知機能も落ちてきた実母を最後までバカにしていたこと。
これだけは許すつもりもない。
あまり好きになれなかった実母だけど、姑よりは親らしいことをたくさんしてくれたし、私は母が40近くで産んだ子なので、親らしいことを長くはしてあげられないし、孫もずっと見守ってあげることが出来ないからと晩年、自分のお小遣いで、できる限りのことをしてくれた。

家計の足しにと食材を持たせてくれたり、孫に買うことも死んだらできなくなるからとおもちゃ、服、好きそうなものを持たせてくれた。
そんな実母が私の携帯番号と家電の番号が分からなくなってしまったんだろう。
家電にかけてきてしまい、それに出た姑がバカにしたように鼻でフンっと笑いながら、
『○○子か?○○子か?って言ってるけど?』
と電話の向こうの私の母に何を言うでもなく、私に受話器を差し出した。

あぁ、この人は私だけでなく嫁の身内は、揃って下だという認識なのだな。
病気で、病院に通っていることは知っているのにこういう扱いなのか…とスーッと感情が無くなっていくかのような感覚になりました。

旦那は、何も動いてくれることはなく、私が騒ぎすぎれば、うるさがって親の味方をするだけでした。
もう、旦那に何の期待もしていなかったし、私の頭のネジも少しおかしくなり始めていました。

いつ、この家から逃げ出そう…と考えたり、嫌がらせのためだけにこの家で死んでやろう…と考えたり。
こいつらを全員○してやる!!!って思ったこともあります。
このあたりで、《あぁ…。自分は今、とてもまずい状況だ…。》と気付いて、精神科にかかり、安定剤のお世話になっていた時期もあります。

こんな状況でも、旦那は動いてくれず、様子がおかしいことに気づいてくれたのは旦那親戚の方でした。
そこから話はどんどん進み、一気に別居へ。
一ヶ月で新居を探し、引っ越しました。
引っ越すまでの間、姑は徹底的に私の存在を無視していました。
少しの辛抱だと思って、あまり気にもしませんでしたが。

別居後、数年はお勤めだと思って正月だけ顔をだしに行っていたけど(その間も私のことは無視)、舅の二度目の借金発覚のゴタゴタから(一度目は逃亡したんだ。舅。)、それも行かなくなりました。
こんな人たちになんで挨拶しないといけないの?…と思ってしまって。

自分には家庭運がないのだろうなと思う。
息子を育て上げるためだけに自分は存在している。それでいいと思うようになりました。
そうして日々過ごしていても、時折、昔の嫌な記憶、苦しい気持ちが沸々と蘇り、何とも言えない気持ちになってしまいます。

心の傷なんでしょうか?
思いだしても辛くなるだけなので、嫌なんですけどね。

なんで最近こんな昔のことを思い出してしまうのか?
舅もなくなり、姑が1人で暮らしています。
高齢者になっても、独り暮らしをさせ、嫁は一切様子すら見に行かず、旦那(姑の息子)が月に何度か様子を見に行くだけ。
私自身、これでいいのか?と葛藤があるのかもしれない。

かといって、見てやるのかと言ったら無理だとしか言えない。
許せないし、許す気もない。
舅の葬式で久しぶりに顔を合わせた時も、ヘラヘラ~っとすり寄ってきた姑に何か言おうとも思えず、
『悪いわねぇ~。』
と言う姑に
『いえ…。』
と返しただけです。能面の様な顔をしていたんじゃないかな。
昔は、オドオド、ビクビクしていた嫁でしたからねぇ。
ショックを受けたような顔をした姑は、そのあと一度も近づいては来ませんでした。

世間から見たらひどい嫁なんだろうなぁと思ったりする自分も嫌だったりするんですよ。
そんなの覚悟のうえで、別居したはずなのに。
とてもめんどくさい気持ちで、グチャグチャです。

死にたいとかはないんですけどね。
生きてるのがめんどくさいなぁ…と思ってしまいます。

気がかり、心配なのは息子のことだけ。
息子が、もう心配いらない、1人でやっていけるとなれば、私は何の未練もないので、実母が迎えに来てくれないかなぁ…とうっすら考えたりします。
晩年の実母の入院の付き添いや身の回りのことは私がしていました。通いで。


だから、迎えに来てくれれば、また私が身の回りのことして、話し相手してあげるよ。
母さん。


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