習作「祖父のこと」
わたしは、祖父と同じ日に携帯電話を買った。十一歳の夏の日だった。
近所のスーパーに入っていたドコモショップで、わたしはシルバーのキッズケータイを、祖父は黒くてつやつやしたふつうのケータイを手に入れた。
祖父は短気でふまじめな性格をしていて、当時まだ七十代前半だったようにおもうが、あまり前向きに操作を覚えようとしなかった。
祖父のそういうところがいやで、わたしはあまり一緒に買いものに行きたいとは思っていなかった。
夏のスーパーの中というのは、外のむせかえるような暑さと違ってすずしくて明るくてよい場所だった。
電子機器についていろんな説明を受けて疲れた祖父は、わたしをソフトクリームに誘ってくれた。
「おい、アイス食うか。」
ーうん、たべる。
「おい、スガキヤでいいか。」
ーいやだ。手がべとべとするから。
「んだあ、おみゃあ、くそわがまま!」
暴言を吐きつつも、祖父はきちんとバニラのジェラードを買ってくれた。
帰り道、わたしは自転車で、祖父は徒歩でおのおの帰路についた。わたしはただとにかくはやいところ「メール」をやってみたかった。
わたしにつめたくてあまいものを買ってくれた祖父を置いて、並んで帰ろうとはせずに、シャーッと優雅に自転車を漕いで、うちに帰った。
帰宅してすぐ、前日に仕入れておいたともだちのメルアドをうちこみ、「やほー。初メール。」という文をしたためて、送った。
わたしが電子人間になった瞬間だった。
同級生からおしえてもらった好きな子のメルアドを、一文字ずつ丁寧にうちこんで、「よろしくね。」と電波であいさつをした。返事はすぐにやってきて「こちらこそ!てか…」と二文も!うれしくなっちゃう内容で、にやにやしながら開こうとしたところ、
「おい!! でんわちょう、はどこにある!」祖父の声が響いた。
ーえ、わたしにきいてる?
「そうだがや。はやく降りてこい。」
ーえーえー、ちょっと待っててー。
大変不服な気持ちを抱えて、わたしは好きな子とのメールを切り上げた。
ーもー、なにー?
「ほら、どこにあるか教えろ。」祖父はわたしの前にずいっとケータイを突き出した。
ーまず〈メニュー〉のボタンを押すの。そう、そこ。で、ほら、画面に〈電話帳〉ってでるよね?そこ!
「ほおー。すぎゃあなあ。」
ーまだ終わりじゃないよ。この、じゅうじになってるボタンの、ここ、一番下をおして…。ああちがうよ、爪でぎゅっとおすの!
「まっとゆっくり話してくれな、おじいちゃんわからんわ…」
わたしはここで、じぶんがとても早口にきつい口調になっていたことに気が付いた。十一歳ともなれば、ひとの顔色を察することができるようになる。
ーあ、ごめん…。
よく見ると、祖父の額は汗でぐっしょりと濡れていた。
うーん、と考えたわたしは、ゲームに興じている末の妹を呼んだ。
ーおじいちゃん。まずさ、写真とってみよう。そこ並んで。
パシャリ
下からのアングルで、わたしは祖父とふきげんな六歳の妹を撮った。祖父はピースサインを作っていた。
お手本で撮ったつもりの写真を、祖父はたいそう気に入ったので、待ち受けにしてみせてやったら、
「おおお。」とうれしそうな歓声をあげて、ケータイをパタンとしまって、電話帳のことはもういいとでもいうように、
「麦茶、とれ。」と私に告げた。
二〇〇六年七月十九日のことだった。
ほとんど使われなかったその黒いケータイは、
今でも不機嫌そうな妹がこちらを見ている。
ああ、私は、変え方を教えてやらなかったか…。と今でもそれは悔やまれる。
先日うちに届いた「携帯電話の修理受付は終了しました」というお手紙を眺めながら、私は今年もまた夏を迎えるのだった。
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