人は「パン・お金・遊び」を目的にしてしまう

70歳まで雇用機会を確保することが、企業の努力義務となりました。
 60歳から10年は働けそうですが、その後は、何とかなるだろうと、「パン・お金・遊び」の楽しみを人生の目的にして、そこで思考停止していませんか。
 
1960年以降、日本人の寿命は1年毎に平均0.26歳延びていて、今の50歳の平均寿命は、男性92歳女性98歳となる計算になります。
 
実は、私は、「パン、お金、遊び」に憧れて悠々自適を選択して、生きる意味のない人生に絶望する経験をしました。人生の目的を「遊ぶ楽しみ」にしたら、生きる意味を無くして苦しむことになりますよ。
 
もしも、定年後の目的を「楽しみ」としていたら、それはサラリーマン生活のマインドセットから抜け出せていない査証です。サラリーマンは、仕事の中に生きる意味があったのです。
 
幸せは、主体的に他人のために生きることに比例して感じるものと人生の成功法則である偉人の教訓が教えています。

世界三大幸福論はいずれも幸福は引き寄せるものとしています。
 
偉そうなことをいっている私自身は、66歳で退職して7年が過ぎました。
 
66歳で無職を選択したとき、生きる意味の存在を知りませんでした。ただ何とかなると天然的に楽観主義でいました。
 
後続の世代の方にこの失敗を伝え、生きる意味を持ちましょうと、繰り返し何度も機会ある度に言わせていただきます。
 
私の現役時代は、60歳定年制度が一般的で、雇用契約の1年更新を重ねて、66歳で仕事の引退を決意しました。他社からの誘いもありましたが、無職を楽しみたいと固く心に決めて、仕事の一切について考えないことにし、後は、年金生活と、決め込みました。
 
俳句が好きで、松尾芭蕉の奥の細道の「人生は旅」に共鳴しました。人生はお金ではない、詫び寂びの心境を楽しむのだ、と気取って真似をし、また、「人間万事塞翁が馬」ということもあると、きっぱりと楽観主義で、心配ごとには思考停止して、現役生活から引退しました。
 
楽観主義というより楽天主義になって、悠々自適の雰囲気に憧れていました。
 
無職に成り立ての頃は、遠方の友人宅を訪ねて料理の腕前を披露して褒めてもらい、また自由人風情で、衣服を新たにしたりして得意になっていました。
 
風天の寅さんの言葉のように、生きていれば、たまには小さな「 楽しみ」に遭って嬉しいことがあると、下町の庶民を気取りでした。
 
しかし、70歳になった頃、心はストレスの塊になって、このまま生きていて良いのかと悲しくなりました。 仕事の人脈が切れたことで、心は寂しく孤独でした。
 
ヴィクトール・フランクルのいうには、強制収容所で楽観的に生きていると、希望が失望に変わった瞬間から、「生きる目的を見いだせず、生きていても、なにもならないと考え…、頑張り抜く目標を見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人々はよりどころを失って、あっというまに崩れていった」とある。池田香代子訳『夜と霧』(みすず書房)
 
天然的楽観主義は危険だと気付いた。生きる意味を考えていなかったので、フランクルのいう、あっという間に崩れる人になっていたと危機感を持ちました。
 
ニーチェも「なぜ、生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」といっている。

生きる目的や意味を考え始めると、人との繋がりが欲しくて、孤独では居られなくなった。
 
私は、中高年時代を楽観的に自信を持って生きていたことが習慣となり、生きる意味を考えなくなって、「楽しみ」を人生の目的してしまうマインドセットになっていた。
 
補足ですが、私は、楽観的な性格を否定する気持ちはありません。

楽観的な人は自己効力感が強いので挑戦的で、困難に遭遇しても直ぐに這い上がる気力を持っているのです。
 
ただし、私は自分の失敗の経験から悲観的防衛主義のうえでの楽観主義でありたいと反省を通じて思うようになりました。

「備えあれば憂いなし」の憂いが見えなくなったとき危険です。


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