著名ジャーナリストの使命感に感動
使命感を持つということは…と考えた。
恥ずかしいのですが、使命感を持つ重要性に気付いたのは70歳になてから。あることを契機に生きる意味を考えることがあって。
著名作家の佐藤優(62歳)が、2023年3月11日付け東洋経済紙面に、「実は命を失いかける事態に遭遇した」との書き出しで、使命感について書いている。
僕は、この記事を読んで、自分を本当に残念に思い、浅学を恥じた。
佐藤優の文章から抜粋
「私は果たすべき使命をまだ終えていない…日本基督教団に所属するプロテスタントのキリスト教徒で、命は神から預かったものと考える。…神は人間一人ひとりに具体的な使命を与える。…神に召される最期の瞬間まで自分の使命を果たさなくてはならない。それがキリスト教徒の喜びなのである。…残りの人生では怠惰に陥ることなく自らの使命を果たさなくてはならないと決意を新たにした」
僕は、人生の使命感を宗教から発想することはなかった。実家が田舎の曹洞宗の小さなお寺で、精神的なものは、葬儀の際の形式的な説教程度の残影しかない。宗教が、自分の使命感、或いは人間性に影響しているとは思っていない。
宗教に対しても不敬を詫びたい。
僕の使命感について過去の経緯は、青春時代に実家を継ぐことを拒否したときのネガティブで孤独な裏切り行為として記憶としている程度。それ以降は、勤務先の組織の目的を自分の使命として働いてきた。残念ながら個人としての使命感は、70歳を越えて心理学の勉強を始めてから意識した概念。
思い返せば、世の中の空気に身を任せて生きてきてしまった。卑下するようだが、思えば幼稚で平和な人生であった。
72歳にして士業の会合に参加して使命感を磨いている。士業の登録もした。
僕の使命は、一人暮らしの老人が「終わりよければ総て良し」となるよう成年後見人を受任して支援すること。目的は「一人暮らしの安全安心」。
佐藤優の記事を読んで、使命感が絶えず知識を求め、勉強と一体になった生活をし、その知識が、幾重もの気付きとなって動機となっている。まるでサイクルのように仕事を掘り下げていると感じだ。
佐藤優がいう「残りの人生では怠惰に陥ることなく自らの使命を果たさなくてはならないと決意を新たにした」を、僕も共有し、書くこと、投稿することから実践する。
「一人暮らし」を代弁して「安全安心」を実現することを使命とする。