理屈は否定の言葉
典型的な生活習慣病の体型の方がいた。
その方が若い方なので、心配になった。
僕は、血圧はどのくらいですか、と聞いてしまった。
最初は具体的な数字をいい、医者にも注意されているなどといって応答していただいた。
しかし、やがて、むったした態度で立ち去ってしまった。
あ! 大失敗だと気付いた。
一緒にいた妻から、「怒っていなくなったわよ」といわれた。
僕の問いかけの目的は、人としての愛情、親切心から健康を気遣いして差し上げることにあった。
しかし、理屈で説得したことで、相手は立腹。
大失敗だ。
コンサルタントの僕としては、感情を全受容することができなければ、コンサルできない。命取りだ。
「相手の立場に立つ」ことを何度も習ったが、行動として出てこない。何度も反省し、焦っている。
散歩しながら、この失敗が学びとなるよう、自分に何度も、この風景を思い出させ、練習を繰り返すしかない。
反省して見れば、説得は、自分の驕り。
言われる人の気持は、そんなこと100も承知だ、余計な悪口をつべこべ言うなと腹も立つということだ。
本当に申し訳ないと心から恐縮している。
愛が伝わらないと、孤独で寂しくなる。
子育ても、新人教育も全部同じ。
理屈から入ったら拒否されて、孤独になるのは自分。
終始一貫して、相手の感情に共感することが愛情となるとなるの。
これまた理屈で覚えようとしている。
自転車も水泳も理屈ではない、体で覚えるのだよ、と自分に言い聞かせる。
理屈の世界を堂々巡りしている馬鹿さ加減にお付き合いいただき、
本心から恐縮しています。
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