人の遅刻を許せない私って実は…
若い頃より私は、人の遅刻が許せない性質であった。
「遅刻する人が許せん……ふざけるな……」
相手への憎悪を伴って、メラメラと怒りに包まれた。
しかし今は、ほぼどうでもよくなってしまった。
その心理的過程をお話しようと思う。
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私が考える遅刻には、2種類ある。
①1対1での、個人的な待ち合わせの場合
②会社などの始業時刻に、誰かが遅れてやってくる場合
私はどちらも、はらわたが煮えくり返った。
友人との待ち合わせなどで待たされるのとは違い、会社で誰かが遅刻したって、直接私に関係ないのに、ものすごくイライラした。
私はおそらく、人生で一度も遅刻をしたことがない。
……やばくないかい?(笑)
電車が事故で遅れたりした場合をのぞき、遅刻した記憶をどうしても思い出せない……
なんで遅刻したことがないかと言うと、人の遅刻を許せないがゆえに、「絶対に遅刻ができない病」にかかっているからなのでした。
人は遅刻に対して、もう少し寛大なものだ。
自分が少し極端過ぎるように思えたので、心の中を覗いてみたことがある。
ちょっと恥ずかしいが、遅刻をした人を前に、私が心の中で思っていたことを実況中継してみよう。
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【出社時刻より遅れてきた社員に対する心の声】
てめー、こっちは、どんな思いで毎朝、起きてると思ってるんだ!! 遅刻したおまえよりも、私の方が、ぜーーーったいに、寝起きが悪く、朝が弱い!! 死ぬ思いで、毎朝起きてんだぞ!!! ほぼ、死にかけながら毎朝起きてるんだ、こっちは!! そんな私でも定時前に出社しているというのに、おまえは、ヘラヘラと遅刻をするなんて!!
なんらかの大きめのペナルティをくらえよ!!
じゃないと、真面目に出社している人たちに対して不公平でしょ?
まったく……軽々しく遅刻をできるなんて……
そんなの……そんなの……
許せないっ!!!!
って言うか……ずるい……
って言うか!!
うらやまし過ぎるだろっ!
私も遅刻したいんじゃっ!
↑ これが、本音(笑)
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【待ち合わせに遅刻してきた友人に対する心の声】
ねえ、友達との待ち合わせに遅刻できるって、どんな神経だとそんなことができるの?
心から知りたいから、教えてくれ。
「宅急便がくるからちょっと遅れる」って……あんた……それマジで言ってんの??
ねえ、正気なの??
あんたが誘って、あんたが時間を指定したんでしょーが!!
「ごめんね」で許されると思ってる?
こちらはこの時間に合わせて、事前にやることやって準備して出掛けたのよ。あと30分余裕があったなら、こっちだって、もっとやりたいことがあったわ!
クソが!!!
宅急便なんか、時間ずらせや。
っていうか、事前に時間ずらしておけや。
あんたとは、もうつきあえないわ。
なんで、こんなでたらめな人が、一般的な大人として社会人生活をおくれているのか……それが不思議でならないわ。
バチが当たれ、バチが!!
……という表向きの怒りのその奥には、悲しみもあるのでした。
……私、傷ついたんだよ。
宅急便より、劣位に置かれたんだからさ。
遅刻そのものよりも、ないがしろにされた気がして悲しかった。
すごく、傷ついたんだよ。
だから、こんなに腹が立ったんだよ。
*****
……とまあ、実況中継は、こんな感じである。
私は、他者のルール違反に対しての、懲罰感情がとても強かった。
「ルール違反・ずるいことをした人には、罰を与えよ!」と。
……うーん……どうなんだ??
他者のすることをいちいち監視している私。
誰かが「遅刻しないかどうか」を見張って、心の中で罵詈雑言を浴びせるわたし……
パトロールでもしているつもりかよ
カッコわる!
……と、そんな感じで、自分の心の中を覗いて以降、誰かへの懲罰感情は「要らない」と考えるようになりました。
誰かを罰する感情が、自分自身をも苦しめているのが分かったからです。
(要らない価値観を捨てる話は、こちらをご参考にどうぞ⤵)
学生時代、私は比較的「ちゃんと」していた。
「ちゃんとしないと叱られる」「宿題忘れたら先生に怒られる」
罰や叱責を前に「ちゃんとしないと、えらい目に遭うぞ」と恐怖して、ルールや規範を守ってきました。
パンチパーマをあて、教師に殴られていた夫とは、えらい違いである(笑)
本来の私は、「宿題を忘れたからって、それがなんだってんだ。大したことじゃねーだろ」と思っているような夫と同じタイプの人間なのだった。
しかし優等生を気取る私は、そんな自分を認めることができず、必死であらゆるルールを守ってきた。
ルールを必死で守るからこそ、それを破る人を許せないのだと、ある時、気づいた。
私は、その自縄自縛を、ゆるめてやる必要があると思い至った。
遅刻は、別にしたっていいんである。
遅刻によって人の信頼を損ねれば、人が離れてゆくだけ。
しかしそれを許してくれる人だって案外いるし、ときに遅刻をすることがあったって、別に死にゃーしないじゃないか。
そうやってひとつずつ、こだわりを解き放ってきたことが、まさしく私が大人になる過程であった。
私は今、ルールを破っている人を見ても、なんとも思わない。
自分が自由に生きるからこそ、人が多少のルール違反をしようともスルーできるようになった。
もちろん社会の秩序のために、ルール・規範は必要だろう。
しかし私のように、それに縛られまくるクソ真面目人間は、あえてルール違反して生きるくらいが、ちょうどよいのである。
かわいい違反者として、私は好き勝手に生きることを、自分に許可した。
そして今は、遅刻してくる友人がいたとしても、「自分をないがしろにされた」などと傷つくこともない。
その人の遅刻は、その人の問題であって、私とは全く関係がない。
そしてその人を、「待っていてあげるのか」「待たずに帰るのか」を、自分で選べばいいだけだと思い至った。
何が起ころうとも、私がすべてのカードを握っている。
他人の目を気にしてばかりだった私が、大人になりそう思えるようになったことは、長く生きてきてよかったと思うことのひとつだ。
そしていつの日にか「遅刻できる日」がやってきたときには、待たせた相手に平謝りしながらも、自分をほめてやろうと思います(笑)
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