日本中が佐藤さんになる日は500年程度では来ない(多分)
2024/4/1に「日本における佐藤姓増加に関する推計方法と結果について」とする分析が東北大学の吉田教授名で発信された。
https://think-name.jp/assets/pdf/Sato_estimation_yoshida_hiroshi.pdf
本記事の目的は、この分析における不適切な点を指摘し、現実には500年程度で苗字が収束しないことを明らかにすることにある。
(なお、本記事は、2531年に日本中が佐藤になる、という分析について批判するものである。当該資料は不正確な推論を用いており、「仮定に基づく暫定的試算」であるとしても最低限の正確性を担保していないと考える。
当該試算の背景にあると思われる「選択的夫婦別姓を推進する」「そのために名字の多様性が失われることの影響を人々に考えてもらうきっかけを作る」といった分析の趣旨・背景を否定するものではない。)
上記の吉田先生の資料では、以下の方法で佐藤姓の増加率を推定している。
(引用はじめ)
⚫ 民法第 750 条の規定により、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」とされている。
⚫ このため、一般的確率からするとメジャーな苗字のグループ(以下では佐藤姓)と婚姻するケースが多くなり、これを繰り返していくと長い時間を経て佐藤姓に吸収され収斂(しゅうれん)する可能性がある。
(中略)
1.推計方法
① 基本的考え方
佐藤姓と他の姓の者との結婚により、他の姓が佐藤姓を名乗ることで佐藤姓が全人口に占める比率は増加することが考えられる。そこで、あるt年の佐藤姓の全人口に占める比率 (t) が 1 年間にどのように増えてきたかその伸びρ(ロー)を求め、その伸びが続くとして、将 来の x(t+1)=(1+ρ) x(t), として複利計算の様に今後 1000 年分シミュレーションして計算し、佐藤姓が 100%となる年 を求めることとした。
② 過去のデータの取り扱い
⚫ はじめに、日本の全人口の 99.04%以上の名字を網羅しているとする「名字由来 net」 (https://myoji-yurai.net/)提供・公表データにより、日本の佐藤姓の人数の値を得た。
⚫ 次に、各年の日本の総人口(総務省「推計人口」)×99.04%で上記の佐藤姓の人数を除し、 「あるt年の佐藤姓の比率」:x(t)を求めた。
⚫ 最新の 2022 年から 2023 年の佐藤姓変化から、1年間の佐藤姓占有率の伸びρを求めた。
2. 推計結果
(1)佐藤姓の伸びρ
佐藤姓の占有率 x(t)は 2013 年の 1.480%から 2023 年の 1.530%と、10 余年で 0.05%ポイン ト伸びていることがわかる。最近時点の最近時点の 2022 年と 2023 年のデータから計算する と、佐藤姓占有率の伸びρは(1+ρ)=1.0083 という結果が得られた。
(引用終わり)
引用個所における記載の問題点として、以下の二点がある。
1.占率の増加について、「メジャーな名字のグループの占率が伸びる」という仮定を、どのようにしてメジャーな名字のグループの占率が伸びるか、そのメカニズムを示すことなしに設定している。(“佐藤姓と他の姓の者との結婚により、他の姓が佐藤姓を名乗ることで佐藤姓が全人口に占める比率は増加することが考えられる。”とあるが、佐藤姓が他の姓を名乗る割合も原理的には同程度なので、増える理屈として不十分である。)
2.占率の増減は偶然の要因に左右され、毎年一定率とはならないにもかかわらず、2022~2023年の変化率のみで推定している。
順に問題点を見ていく。
1. モデルとメカニズムの問題-佐藤姓の占率は増加するのか?
世代が進むと、佐藤姓は平均的に増加するのか、それとも減少するのだろうか。
ある世代で1.5%の占率である佐藤さんが次の世代にどうなるか考えてみる。単純化のため全員が結婚すると仮定すると、カップルは以下の3種類になる。
佐藤さんと佐藤さん:0.015×0.015の割合を占め、名字は佐藤
佐藤さんと佐藤さん以外:0.985×0.015×2の割合を占め、うち半分の名字が佐藤
佐藤さん以外同士:0.985×0.985の割合を占め、名字は佐藤以外
従って、平均的には、次世代の佐藤さんの占率も0.015×0.015+0.985×0.015×2/2=0.015となって、1.5%のままになるはずである。これはどんなに佐藤さんの占率が高くなっても変わらず、佐藤さんが99%であれば次世代でも平均的には99%が佐藤さんである。
さて、この結果は直感に反しているだろうか?名字の数は単調減少するのだから、占率の高い名字が人口に占める割合は単調増加になる、と考えるべきか?
そうでないことを説明するために、数の少ない名字の減少のメカニズムも考えてみる。
例えば、1世代に2人しかいないAという名字があったとする。Aという名字はいつ消滅するだろうか?
全員が結婚し、Aさん同士の結婚が無かったと仮定して、Aさんは2組のカップルを作り、平均的に1組のカップルは名字をAにし、もしその1組のカップルが二人子供を作った場合には、やはり1世代には2人のAという名字の人間が生まれる。
ここで、結婚しない(あるいは同性婚を選ぶ)Aさんがいたり、子供が2人未満だったりした場合にはAさんの人数は減るのだが、同様に佐藤さんも同じ影響を受けるので、平均的な占率としては変わらない。佐藤さんの時と原理は同じである。
では、どんなに希少な名字も消えずないかと言えば、勿論そうではない。上記はあくまでも平均的な結果であって、実際にはAさんが2人とも結婚しない/子供を作らない/結婚して相手の名字に変更する、という選択を取った場合には、Aという名字はなくなってしまう。全員が結婚するとしても、単純計算では(1/2)^2の確率で全員が相手の姓に変更するし、次世代でAさんが1人になっていた場合は、次々世代でAという名字がなくなる可能性はが高まる。
こうした偶然による名字の消滅は、日本全体で見ればほぼ必然的に発生する。例えば、1世代に2人しかいない珍しい名字が1000種類あれば、そのうち250種類程度はなくなってしまう。
(佐藤さんも原理的には同様に名字消滅の危機があるのだが、佐藤さんは全国に185万人ほどいて、0歳~30歳に限定しても30万人程度はいるだろうから、この30万人が全員結婚しない/結婚後に名字を変えるなどの選択を取らない限り佐藤さんが消滅することはなく、その確率は極めて低い。)
このような形で250種類の名字が減った場合、他の名字の占率は増えるのだが、その増加はどの名字の増加となって現れることもありうる。例えば、佐藤さんが増えるかもしれないし、田中さんが増えるかもしれないし、剛力さんが増えるかもしれない。人数が多い分だけ佐藤さんは増加の影響を受けやすいが、同じ原理によって偶然途絶える佐藤家もその分多いので、希少名字の減少によって佐藤さんの占率が必ず増えるわけではない。
長くなったが、「結婚と夫婦同姓制度により少ない名字が減る(名字の多様性が減る)」ということと、「現在占率が上位の名字の占率がより高まる」ことはイコールではなく、一定率(ρ)で特定の名字の占率が増加するという仮定は妥当ではないことがわかる。
2.伸び率の推定
上記により、そもそも佐藤姓が一定率で増加するという仮定自体に大きな問題があるが、佐藤姓の占率が増加しているのはどうやら事実らしい。では、そのデータから増減率を推定することにはどんな問題があるだろうか。
まず、1年単位では偶然佐藤さんの死亡が少ない/偶然佐藤さんの出生が多いといった要因で発生するため、経年データが多いほどそうした要因を排除でき、信頼できる増減率となる。しかし、記事では2013年~2023年のデータがあるにもかかわらず、その変化率の幾何平均ではなく2022~2023の1年の変化のみ採用している。
以下では実際に伸びがみられるか、いくつかのデータを確認してみる。ただし、「名字由来 net」 (https://myoji-yurai.net/)で過去の年度における佐藤姓の人数を取得する方法がわからなかったので、一部不正確になる点はご容赦いただきたい。
<佐藤姓の人数または占率>
吉田先生の資料では、2013年、2022年、2023年の佐藤姓の占率はそれぞれ1.48%、1.52%、1.53%となっている。
一方で、2024/4/1現在の佐藤姓は名字由来サイトにて1,830,000人、日本の総人口は総務省統計局によると2024/3/1の推計値で1億2397万人となっており、資料中にある手法で占率を推定すると1,830,000/(123,970,000*99,54%)≒1.48%,
となって2023年の結果と大きく乖離してしまう。これが推定時点の相違によるものか、その他の要因によるものかは不明である。
また、2013年の明治安田生命の調査では、佐藤姓が1.54%となっている。データが明治安田生命の契約者約600万人であるため、「名字由来net」の結果と一致しなくても不思議はないが、吉田先生の結果(1.48%)とはやや乖離が大きいようにも思われる。(注1)(注2)
また、2018年の同社の調査では、佐藤姓の割合は1.53%となっている。この調査についても同様の問題はあるが、(死亡や加入・脱退はあるものの)2013年と概ね同じ調査対象である。したがって、それぞれの水準(1.53%、1.54%)と名字由来.netを用いた水準で妥当性を比較することは難しいものの、明治安田生命の調査同士における差異、つまり5年間の変化幅0.01%についてはそれなりに信頼がおけると考えてもよいだろう。
ここまで出てきたデータから、概ね同様の手法で占率が推定されており変化率を評価できる部分を集めると以下のようになる。
<佐藤姓占率の変化率>
こうして見ると、調査方法や対象期間によって変化率が大きく異なり、確度の高い推定を行なうことが困難であることは明らかである。また、その中でも0.83%は際立って高く、この結果が全体の傾向を示しているとは考えにくい。
0.83%という伸び率が、各年度の数値の推定のブレや単年度の死亡/結婚/出生の名字別の偏りによるものなのか、あるいはこの記事で解明できていない名字の占率変化に関する何らかのメカニズムを反映したものなのかは不明であるが、来年以降の名字の占率変化の予測に使えるような確度の高い数値であることは考えにくい。
以上より、「2531年に日本が佐藤さんだけになる」ということは考えにくく、妥当性を欠いた分析である。
<補足1>
なお、吉田教授がこうしたロジックを理解していないとは思えず、こうした点を承知の上で、社会的インパクトを与えるためあえて試算として公表したものであると理解している。公表資料の補論において、本記事冒頭で紹介したロジックと同様のロジックを用いて、夫婦別姓の場合でも佐藤姓の占率は平均的には一定であることを紹介していることからもこれが読み取れる。(なぜ「夫婦別姓の場合も平均的には一定のはずの佐藤姓が2022-2023に0.83%で拡大しているか」という点の考察が無く、2023年以降にも同様の割合で増加すると仮定しているのかは不明であるが)
<補足2>
特に、ρ=0.0083だとすれば、1世代25年間で約1.0083^25≒23%も佐藤さんの割合増加することになるが、これはあまり現実的な推定ではないだろう。単純計算では佐藤さんと非佐藤さんのカップルで6割以上の人が佐藤姓を選ぶことになるが、全国の佐藤さんが夫婦間での名字の選択において極めて強い権力を発揮しないかぎりあまり現実的ではない。
<補足3>
名字の収束は原理的にいつかは発生する。日本中の60%が佐藤さんで40%が田中さんのとき、次の世代でも平均的には60%が佐藤さんだが、全く同じ占率が維持されるということはなく、偶然の要素によって占率は動いていくため、いつかは佐藤さんか田中さんに収束する。(必ず佐藤さんに収束するわけではない)
私にはどうやってシミュレートしたらいいのかよくわからないが、twitterでは5000億年後に収束するという説が流れていた気がする。そのぐらい、400億世代が経過すると確かに名字が一つになってもおかしくはないように思われる。
(注1)「名字由来net」は99.54%を網羅しているとされるが、これは同サイトに掲載されている名字の人の占率を示していると考えられ、99.54%の人の名字の内訳(割合)についてどの程度の精度なのかは不明。
(注2)600万人の抽出が無作為抽出になっていると仮定すれば、佐藤姓の占率に関する調査結果の標準偏差は
であり、明治安田生命の調査も0.01%の精度で名字の占率を推定するうえでのサンプルサイズが不足しているわけではない。
<参考文献・引用文献>
吉田(2024) “日本における佐藤姓増加に関する推計方法と結果について”,
https://think-name.jp/assets/pdf/Sato_estimation_yoshida_hiroshi.pdf
名字由来 net:https://myoji-yurai.net/
総務省統計局人口推計:https://www.stat.go.jp/data/jinsui/index.html
明治安田生命 全国同姓調査(2013)
https://www.meijiyasuda.co.jp/profile/news/release/2013/pdf/20131211_01.pdf
明治安田生命 全国同姓調査(2018)
https://www.meijiyasuda.co.jp/profile/news/release/2018/pdf/20180808_01.pdf
リクナビ2022調査の紹介記事:https://news.mynavi.jp/article/20220331-2308405/(原出典未発見のためご容赦ください。発見次第差し替えます)