最近映画例えツッコミの映画の幅が広がりすぎて、段々ついていけなくなっている話
導入
NetflixやAmazon Primeといった映画ストリーミングサービスが普及していた現代は、かつてでは考えられないほど簡単に様々な映画作品を見れるようになりました。聞いたところではアフリカでは映画館ビジネスが広まり切る前にNetflixが広く普及したため、映画=映画館で見るものではなく、映画=Netflixで見るものと思われるようになったとかなっていないとか。
その恩恵を受けている中には芸人さんも数多くいらっしゃるようで、バラエティ番組を見ていて、なんとなく映画の例えツッコミを聞くことが多くなった気がします。知っている映画のワンシーンで例えられるとその映像も一緒に浮かぶので「まさにその通りじゃん!」となるのですが、中には「あ、それ名前聞いたことあるけど見たことない…」という映画もあったりして、そういうときは「やばい分からない……」と焦ったり、「あ、その映画見てなかったけどそういうオチなんだ、今度見よう」と全然違うリアクションをしてしまいます。これ、私だけですかね……?
という、つぶやきをしたかっただけの記事なのですが、せっかくなので記事を書くきっかけになったツッコミと覚えている映画例えツッコミを紹介します。
千鳥ノブの「みんな机の上に立とう!」(「いまを生きる」(1989))
おそらく現在はYoutube上で削除されてしまっていると思うのですが、Abemaのチャンスの時間のおそらく「~先生」の企画で千鳥ノブさんが「みんな机の上に立とう!」というコメントをする場面がありました。
その意味の分からないままであははー、と笑っていたのですが、コメント欄に「ノブが言っているのは『いまを生きる』の話だな。」という書き込みを発見し、そこでようやく映画で例えられていたことを知りました。それ以降、「あれそういえば最近ちょっと古いけど名作としてリコメンドされる映画での例えツッコミ多いなあ…」と思うようになり、記事執筆に至ります。
とろサーモン村田の「ラストエンペラーかあのおじさんは」(「ラストエンペラー」(1987))
Youtubeのチャンスの時間のサムネになっていたツッコミで、あー!確かにあのシーンね!と思わずクリックしてしまいました。しかし、これは多分最後皇帝が紫禁城を見学しに来た子供に玉座に隠しておいたバッタの入った筒をあげるシーンのことを言っているのだと思うのですが、映画の中ではこの構図で子供がおじさんを見上げているシーンはなく、ただお互いの顔が交互に映し出されるだけなんですよね。それでも映画を見ている人の頭の中では上の構図を想像しているので、分かってしまうというなんとも不思議な話です。
アルコ&ピース酒井の「セブンのやつ!」(「セブン」1995)
酒井のツッコミワードを引き出す規格での1コマです。平子が小箱と犬のぬいぐるみを足元に置いて、小箱を開けて驚きの表情を見せ、辛そうな顔を背けて犬のぬいぐるみを撃つ、というところでこのツッコミがされました。これ自体、例えてツッコんでいるわけではなく、そのまま映画の再現をしたところにツッコんでいるのですが、全く知らない人からしたら分からないだろうなと思ったシーンだと思います。
元ネタは映画のラストシーンで猟奇殺人犯を追い詰めた刑事が逮捕すべき相手を射殺するシーンです。この前に犯人が用意した箱を開けるシーンがあり、その中身は明言はされてないものの刑事の妻の首であるとされています。マンガ「ミュージアム」のオマージュ元でもありますね。
なんか……abemaばっか見てますね。
ただ、あのツッコミおもしろかったねーという感想を言うだけのつもりだったのですが、こう映画のシーンまで特定して振り返ってみると、完全にツッコミをされている構図と元ネタの構図が一致しているわけではないんですね。意外な発見でした。
ツッコむ側も見ている側もうすぼんやりしたイメージでその映画を連想するので、その映画の場面の特徴を抑えていれば、厳密にはそんなカットがなくても映画の例えツッコミって成立するものなんですね。何かそりゃそうだろ、という当たり前の話なのかもしれませんが。
以上、読んでいただきありがとうございました!
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