FF15のマルチエンドの感想
はじめに
自分の考えをまとめるために書いた記事です。感情のままに書いたので読みにくかったら申し訳ないです。
スタンスとしてはゲームも好きだし小説も好き。
恐らく少数派であろう意見もあります。
勿論ネタバレを含みます。ご注意下さい。
この記事を書こうと思ったのは
という呟きがバズっていたのを見てわかるーって共感したのですが、
それに該当しそうなFF15はいや…小説ゲームどちらも好きだな?あと自分の思ったこととこのつぶやきとは微妙にニュアンスが違うな?
そう思ったので記事を書こうと思いました。
良いと思った理由
恐らく小説が良い、いやゲームの方が良いと派閥が分かれると思いますが両方それぞれ楽しめたという理由は、
ノクトの選択で変わったわけではないということ
これが大きいと思っています。
特に小説ではゲームが始まるより前のアーデンの選択で変わります(エピソードアーデン)
エピソードイグニスもですが、ノクトの選択でないのとifとして別々の物語として描かれていて
イグニス(イグニスが主人公)ならそう選びそう!アーデン(アーデンが主人公)らしい生き方だねってそれぞれ別々の物語として楽しめたからだと思いました。
バハムートの解釈
小説では憎むべくして描かれた存在だと思いますが私は必ずしも悪い存在ではないと思っています(バハムート擁護が少数派であろうと思う理由)
何故ならもっと非情な選択ができたからです。
例えば無関心。星が病に犯されてる、人間がヤバい←イヤイヤそんなの知らねほっとこ。これで人類は詰み。
例えば無慈悲。小説で明かされたテラフレア(ゲームで想定されていたかはおいておいて)人間に指輪なんて渡さずに闇を溜める舞台装置だけ用意して全部焼き払えばそれで安全にお仕事終了です。使った後休まないといけないというデメリットはありますが、そもそも人間に期待もしないし血も涙もなければ人間にケリをつけさせるようなことはしなかったと思います。テラフレアがあるなら闇溜める役割は必要だっけ?そこはうろ覚え
そもそも六神が作った指輪がないと人類はそこで詰みです。小説もゲームもバハムートの力がなければ人類は滅んでおり、ヤバい神様であっても確かに人類を救った存在なのです。
少し話はそれますが、そもそも星の病の原因となったプラスモディウム変異体はどうやって発生したのでしょうか?原因は不明です。
仮に自然発生でなくソルハイム文明や帝国など人が発生させていたら、人間側が責任を取るべきという考えは筋が通るでしょう。
※実際には人工発生か、自然発生か原因はわかっておりません。ですがノクトとバハムートはクリスタルで知っていると思っています(ここも想像という点に注意)
ノクトの選択
ゲームは選択の余地がなかったという意見を見ますが、寧ろ小説の方がゲーム以上に選択の余地なんて無かったと思います。
小説とエピソードイグニス(具体的な解決策は不明)ではノクトが生きるエピソードが描かれましたね。
なぜゲームのノクトはそれを選ばなかったのか、それは個人的な解釈が含まれますがどういった相手であっても人に責任を押し付けるタイプの存在ではなかったからだと思います。
例えばアーデン。祖国を滅ぼされ、恋人を殺され他にもノクトにやってきた仕打ちは相当な者であり、憎しみで刃をふるっても文句を言われることはないでしょう。
ですが、ゲームでアーデンを倒した際のノクトのやった事は私は介錯だと思っています。
相手を救うために楽にするために力をふるっていたと思います。
その事を踏まえて、小説を読んでいたら特に理不尽を人類に押し付けたと思ってもいいくらいのバハムートですが、私のバハムートの解釈がノクトも仮に知っているとしたら。
自分は死にたくないから代わりにあなたが死んでくださいとそれが神様であっても相手に言うでしょうか?
私はノクトの性格上そういった選択をしない、だからゲームではああいった選択をしたのだと思います。エピソードイグニスの解決策がどういったものかは不明なので省きます
そういったノクトの性格だからこそ小説ではバハムートを殺すしか選択できない状況を作ったのだと私は思います(ここが小説の方が一択という理由)
※小説ではアーデンの行動で今までの解決策ができず、人類とバハムートは決裂しています。
結論
話を元に戻すとそれぞれ別々のものとして、ifの存在として描かれていたのと、ノクトの行動で変わったわけではない。
だからそれぞれに楽しめたと言うのが私の感想です。