沢木2.2 タイ編
3.チャクリー=タイラント
空港の入国審査でパスポートにスタンプが押される音を聞くたびに、子供の頃行った、犬山リトルワールドを思い出した。あのときに体験したさまざまな世界をこれから味わうことができると思うと、不思議と胸が高鳴る。今回はタイだ。文化と熱気の坩堝。荷物を受け取りながら、スーツケースの底に潜むパチモノの時計のことを思い出した。もし没収されたらどうしようと思っていたけど、特に問題なく通過できた。少し拍子抜けだったけれど、それもまた旅の一コマだ。
空港を出ると、目の前には派手な金色の装飾で覆われたタイ式のお寺があった。その存在感に思わず足を止めた。日本の寺とは全く違う。色彩が鮮やかで、どこか芝居がかったような派手さがある。「こんなにも装飾するのか」と思わずつぶやいてしまった。ここがタイだということを、まず視覚で叩き込まれる。
ホテルに荷物を預けるためフロントで話をすると、スタッフは「そこに置いといて」と手を振っただけだった。預けたというより、ただ放置しているような感じだ。これで本当に大丈夫なのかと心配しながらも、気にしていても仕方がないと思い直し、街に出ることにした。バンコクの街並みを見るため、タクシーを呼んだ。車に乗り込むと、ドライバーは片手でハンドルを握り、もう片手ではずっとスマートフォンをいじっている。ちらりと画面を覗くと、インスタグラムのリール動画を見ていた。不安が頭をよぎる。「これは果たして安全運転と呼べるのか?」
車窓の外に、ブラフマーの像が見えた。三つの顔を持つ神の像は、僕の中に眠る異国のイメージをくすぐる。日本では決して見ない光景だ。寺院の形もそうだ。日本のものとは全く違う、細長くそびえる塔のようなデザイン。それが街のあちこちに点在しているのがまた面白い。そして街には国王の肖像が至るところに飾られていた。「これが王国というものなのか」とつい考え込んでしまう。以前、ベトナムで見たプロパガンダのポスターを思い出した。あれが社会主義の顔なら、これは君主制の顔だ。どちらも異なる価値観を掲げながらも、根底に流れる空気には何か共通するものがあるような気がした。
王宮を訪れようとしたが、到着してみるとちょうど閉館時間だった。門の前で立ち尽くし、どうしようかと思案していると、一人のトゥクトゥクドライバーが声をかけてきた。「水上マーケットに行かないか?」その言葉に誘われるように、彼のトゥクトゥクに乗り込んだ。しかし、現地に着いてみると、入場料が8000円もすると言われた。「高いな」と思わず口にした。旅行者価格だろう。僕はそのまま引き返そうとした。
すると、別のトゥクトゥクドライバーが近づいてきた。「バンコクを案内してやるよ」と彼は言った。その提案に心が動いた。「予定を詰め込むよりも流れに身を任せてみるのもいいかもしれない」と思い、再びトゥクトゥクに乗り込んだ。
トゥクトゥクは混沌としたバンコクの街を抜け、静かな一角へと僕を連れて行った。たどり着いたのは「ワットスントンタンマター」という寺だった。観光客の姿は一人もなく、そこにはただ地元の子どもたちがサッカーをしているだけだった。その光景に、喧騒の中に閉じ込められていた僕の心がふっと解放された気がした。ここには、タイの伝統的な寺院文化が息づいている。華やかな金色の装飾や巨大な仏像はないが、静かで穏やかな空気が漂っている。
壁に描かれた壁画に目を向けると、インドラがそこにいた。右手に雷を持ち、力強く天を見据えるその姿。彼は古代インドのリグ・ヴェーダの中心的な神であり、雷霆神であり、英雄神だった。その威厳は、ゼウスやユピテルと同じルーツを持つ神にふさわしいものだった。しかし、バラモン教からヒンドゥー教への転換の中で、その力は次第に薄れていったという。僕は、そのかつての栄光に思いを馳せながら、静かに手を合わせた。
次に連れて行かれたのは、意外にもネクタイ屋だった。「なるほど、こういう感じでものを買わせるツアーか」と少しがっかりしたが、僕たち三人とも即座に「これはいいや」と判断し、また王宮へと戻ることにした。だが、ここで一つ問題が発生した。勇吾が半ズボンを履いており、王宮のドレスコードに引っかかったのだ。仕方なく、彼は入り口でタイパンツを購入する羽目になった。その姿を見て僕たちは笑い合ったが、旅のこうした小さな出来事が、後々一番の思い出になったりするのだろう。
王宮の敷地内にあるワットプラケオを訪れると、バンコクの本尊とも言われる仏像が安置されていた。バンコクの正式名称は、タイ語で「クルンテープマハナコーンアモンラッタナコーシン……」と、とてつもなく長いものだ。その中に「ラタナコーシン」という言葉があり、これは「インドラの宝石」を意味するらしい。壮麗な本堂に入り、僕は初めてタイ式の祈り方を目の当たりにした。胸の前で手を合わせ、頭上に掲げ、肘を床につける。その一連の動作を真似しながら、僕もまたインドラ、つまりゼウスに祈りを捧げた。祈りを通じてタイの人々と一瞬つながった気がした。
その後、王宮の本館を訪れた。ビクトリア様式の壮麗な建物だが、その屋根だけがタイ式のデザインになっている。その不思議な調和に目を奪われた。ベトナムで見た西洋風の建物を思い出した。どうやらアジアの権力者たちは、こうした西洋建築に特別な憧れを抱いていたのだろう。だが、どちらの国も独自の装飾を加えているところに、プライドのようなものを感じた。
昼食にはタイ料理を食べた。スパイシーで独特な香りが食欲を刺激する。ホテルに戻り、少し休もうとインスタグラムを眺めていると、高校時代の同級生である下浦とキムもバンコクにいることが分かった。急いで電話をかけると、「せっかくだから会おう」ということになり、僕は暗闇のバンコクの街に一人で出た。初めて海外で一人になる。その不安は想像以上だった。だが、地下鉄に乗り込むと、その清潔さに驚いた。金属製の椅子が並ぶ車内に異国感を覚えながらも、少しずつ心が落ち着いていった。
三人で店に入り、料理を頼んだ。下浦が店員と流暢なタイ語で会話をしている。「旅行中に覚えたんだ」と彼は笑った。さすがは阪大医学部の人間だ。僕たちはお互いの旅の話を語り合い、笑い合った。東京、大阪、札幌から集まった同級生たちが、まさかバンコクで同窓会を開くことになるとは。奇妙で、けれど心温まる時間だった。
ホテルに戻る途中、川沿いに並ぶ古びた家々が目に入った。生活感にあふれ、少しばかり荒廃したその景色に、僕は足を止めた。水上マーケットを見られなかったことを思い出したが、こうして暮らしの匂いがする風景を見ると、むしろこちらの方が本物に近いような気がした。