沢木2.2 タイ編2
5.アユタヤ=タイラント
タイに戻ってきたとき、胸の奥に小さな懐かしさが芽生えた。この国特有の湿った空気と、街中に漂う香辛料の匂いが僕を迎え入れる。駅に向かい、アユタヤ行きの切符を買うと、再び旅の熱が高まっていくのを感じた。
国鉄の列車は、前回乗った清潔で近代的な地下鉄とはまるで別物だった。窓は薄汚れていて、床にはいくつもの靴跡がついている。車内を見渡すと、足が曲がった人が座り込み、年老いた女性が果物や飲み物を売りに歩き回っている。生々しい現実がそこにはあった。発展途上国の息吹とでもいうのだろうか、この国のもう一つの顔が静かに僕に語りかけてきた。
アユタヤに着いたのはすっかり日が暮れた頃だった。タクシーでホテルに戻り、一息ついたあと、僕たちは屋台飯を求めて夜の街へ繰り出した。地元の人々でにぎわう屋台では、香ばしい匂いが立ち込めていた。串焼きに舌鼓を打ちながら、この国の味を再び堪能した。
ホテルに帰る道すがら、ふと目の前に野犬が現れた。勇吾と僕はその犬に近寄ったが、それが失敗の始まりだった。犬は僕たちに気づくと、ゆっくりと興味を示し、こちらに向かってきた。最初は数メートルあった距離が、じわじわと縮まっていく。恐怖が心に染み渡る。狂犬病。その致死率が100%だという知識が頭をよぎった瞬間、僕たちは全力で駆け出した。振り返ることもできず、ホテルの扉に飛び込むようにして駆け込んだ。フロントのおばさんは、笑いながら「Dog?」とだけ聞いてきた。正直、注意喚起くらいしてほしいと思った。
後で調べると、あのとき走って逃げたことが完全に間違いだったと分かった。犬に興奮を与えず、静かに後ずさるべきだったのだ。「走ってはいけない」と、頭の中で何度も繰り返し言い聞かせる。でも、理屈では分かっていても、恐怖の前では本能が勝つ。
翌朝、気を取り直して散歩に出ようとホテルを出た。昨日の犬はきっと寝ているはずだ、と思いたかった。しかし、現実は違った。犬はすでに目を覚まし、再び僕を追い始めた。全身の神経が総動員され、頭の中では「走っちゃダメだ」と何度も警告する。だが、気づけばまたしても僕は全力でホテルへ向かって疾走していた。
その後、三人でタクシーを呼び、観光エリアに向かうことにした。目指したのはワット・マハタート。遺跡の中にある、根に絡まる仏頭の姿で有名な場所だ。寺の入り口には、タイ語、英語、そして日本語で一枚の注意書きがあった。「頭のない仏像の上に自分の顔を置いて写真を撮るようなことをしないでください」と書かれている。注意書きに日本語があることが妙に恥ずかしかった。きっと、これまでに何人もの日本人観光客が無神経な行為をしてきたのだろう。それを想像するだけで背筋が冷えた。
ワット・プラ・シー・サンペットに足を踏み入れると、目の前に広がる遺跡の静寂に、少し言葉を失った。古代のタイの王たちがこの地にどのような夢を抱き、またどのような現実に直面したのか。そのすべてが、そこに残された仏塔や石碑に刻まれているようだった。
遺跡の中には、インターナショナルスクールの小学生たちが賑やかに訪れていた。一人の男の子が僕たちに話しかけてきた。母親が日本人だというその子は、日本語と英語を混ぜながら話し、先生にはタイ語で指示を仰いでいる。小学生でありながら、すでにトリリンガル。僕たちは感心しきりだったが、当の本人はそれを当たり前のこととしている様子だった。その自然体が、どこか羨ましくも感じられた。
復元された模型が展示されており、かつての壮麗な姿を垣間見ることができた。しかし、王の位牌が納められる仏塔以外はすべて破壊されていた。その仏塔は、ミャンマーの建築様式に似ているように思えた。ミャンマー軍がアユタヤを破壊した際、この仏塔だけが残されたのは、文化的な共通点への敬意からだったのだろうか。それとも、単に破壊の手が及ばなかっただけなのか。そんな思索を巡らせていると、この遺跡が持つ歴史の複雑さがじんわりと胸に広がってきた。
大仏を見上げると、その黄金の輝きに目を奪われた。日本の仏像とは異なる、豪奢で眩いばかりの美しさ。観光客に混じって祈りを捧げる地元の人々の姿を見て、この場所が単なる観光地ではなく、いまだ祈りの場としての役割を果たしていることが、どこか心に響いた。
その後、象に乗った。象の背は想像以上に高く、揺れが激しくて少し怖かったが、その非日常的な体験に心が躍った。日本人旅行者とお互いに写真を撮り合い、AirDropで送り合う。降りる際、チップを要求されたが、勇吾が「任せろ」と言って、カンボジアリエル札を渡してくれた。その価値はわずか2円。それを何も知らずに受け取る象を見て、僕たちは思わず笑ってしまった。
アユタヤの資料館には、ポルトガルやオランダ、イギリス、中国、ペルシャなど、40以上の民族の商人たちが集まっていたという展示があった。ポルトガルが最初に到達した西洋人であること、オランダがキリスト教を布教しなかったことなど、どこか日本の歴史と交差する点も多い。その中でも日本人町跡は特に印象的だった。鳥居や日本庭園、資料館に飾られた日本語の看板。それを目にしたとき、なぜか一瞬帰国したような気分になった。
象のところで会った日本人旅行者と、偶然再会した。「狭い町だな」と、僕たちは笑い合った。電車でバンコクに戻ると、街を適当に歩き始めた。前を歩く人物が日本人だと気づき、周囲を見回すと、そこには「すずき不動産」や「世界の山ちゃん」、そして「トレジャーファクトリー」といった日本語の看板があふれていた。ここが現代の日本人街なのかと感じ、少し不思議な気分になった。
その夜、勇吾が寄りたい場所があると言い出し、僕と泰はホテルに戻ったが、しばらくして勇吾から電話がかかってきた。「野犬がいて、帰れない!」という切迫した声。僕たちは位置共有アプリで彼の動きを見守りながら、電話越しに応援しつつ、笑いを堪えられなかった。彼が行ったり来たりするさまは、まるで迷路に迷い込んだ冒険者のようだった。
翌朝、僕は香港に行くため、一人でスワンナプーム国際空港に向かった。ここからは、僕だけの旅が始まる。空港で目にした乳海攪拌の像。その壮大な物語が、どこか僕自身の心の中にある新しい自分を呼び覚ましているような気がした。次の旅路がどんなものになるのかはわからない。ただ、これまでの旅で得たものを胸に抱き、また新たな一歩を踏み出そうと思う。