
沢木2.2 カンボジア編
4.シェムリアップ探検隊

シェムリアップ国際空港に降り立った瞬間、僕は肩透かしを食らったような気持ちになった。国際空港と呼ぶにはあまりにも質素で、小さな町のバスターミナルのような雰囲気だった。けれど、その控えめな佇まいがカンボジアという国の穏やかさを予感させるようでもあり、不思議と胸が高鳴った。
到着後、ビザをその場で取得することになった。事前準備がなくてもなんとかなるあたり、どこか無頓着なこの国のリズムに早くも引き込まれていく。ところが、飛行機で書いたはずの入国書類をどこかで紛失してしまった。冷や汗をかきながら係員に説明すると、「日本人?」と聞かれ、そうだと答えると、なぜか笑顔でスルーされた。異国の地で予期せぬ寛容さに触れると、驚きと同時にどこか安心感を覚えるものだ。
空港内の両替所では、米ドルとカンボジアリエルの二種類が並び、どちらも使えるという説明を受けた。その柔軟な通貨制度が妙に印象に残る。これまで僕が知っていた固定された常識が、ここでは曖昧になり、ゆっくりとほどけていく感覚だった。
外に出ると、インドラの像が迎えてくれた。その力強い姿に、自然と旅の無事を祈る自分がいた。未知の地に立つ不安もあったが、それを超える期待感が、僕の背中をそっと押しているようだった。
空港を出ると、ホテルが手配してくれたタクシーが待っていた。運転手のサムは陽気で、人懐っこい男だった。彼の片言の英語と絶えない笑顔に、緊張していた心が少しずつ解けていく。車内で彼と交わす何気ない会話が、この旅の最初の思い出となった。ホテルに到着すると、意外にも立派なプールがついていた。旅の疲れを癒してくれそうなその光景に、心がふっと和らいだ。
翌日からサムを二日間貸し切って、シェムリアップの名所を巡る計画を立てた。その最初の目的地は、アンコール国立博物館だった。
博物館では、日本語の音声ガイドが利用できると聞き、迷わずそれを借りた。ガイドを耳に当てると、カンボジアの歴史や美術が流れるように語られる。異国の地で自国の言葉を聞くのは少し不思議な感覚だが、そのおかげで理解が深まり、展示物がいっそう魅力的に映った。
館内には、アンコールワット遺跡群から発掘された無数の神像や仏像が展示されていた。どれも静かに、しかし確かな存在感を放っている。日本で見慣れた仏像とはどこか異なり、顔立ちや表情にその土地の空気を宿しているようだった。その違いを見つけるたびに、文化や歴史の多様性を体感し、この国の奥深さに引き込まれていく。
おみくじの箱を見つけたとき、僕は思わず引いてみることにした。中に入っていた紙には、少し不自然な日本語でこう書かれていた。
「注意で、考えること。急がない方が良い。自分と家族が満足しそう。長い幸せな生活を送る。」
妙にぎこちない言葉だったけれど、なんだかその不完全さが微笑ましかった。「訴訟事件が好ましくない」「人を訪問する目的が応じられない」と、やや不吉な予言も並んでいたけれど、「全体的に、問題ないだろう」で締めくくられているあたり、最後にはなんとかなる、という曖昧さがカンボジア的なのかもしれないと思った。

その後訪れたのは、Killing Field。
ここでは、ポルポト政権下での大量虐殺の惨劇が、絵の看板とともに語られていた。その看板の下には、またしても日本語の解説が添えられている。少し硬い表現や直訳じみた部分もあったけれど、その言葉のひとつひとつがこの国の記憶の重さを運んでいるように感じられた。犠牲になった方々の遺骨がバラバラに埋められていたという現実。足元の土に眠る無数の人生に思いを馳せると、言葉を失う。静かに頭を垂れ、祈りを捧げた。

アンコール遺跡群の翌日チケットを買うと、なんとその日の夕方から使用できると言われた。早速利用して夕陽を見に行くことにした。目的地は四大遺跡のひとつ、プノンバケン。トゥクトゥクで向かう途中、ふと右手の暗闇に目をやると、アンコールワットがその荘厳な姿をわずかなシルエットだけで見せていた。その瞬間、胸の奥に静かな感動が広がった。古代の遺跡が夜の闇に包まれながらも、確かにそこに存在しているということ。その不変性に、時間というものの流れを超えた力強さを感じた。

プノンバケンは小高い山の上にある。石段を登り切った先に広がる遺跡の姿に、僕は息を飲んだ。これが古代の人々が作り上げたものなのかと思うと、言葉にならない感動が押し寄せた。夕陽が山の向こうに沈むにつれ、遺跡全体が黄金色に染まっていく。手のひらを伸ばして「手乗りアンコールワット」の写真を撮ろうとしたところ、近くにいた女性が声をかけてくれた。写真を撮ってくれた彼女はアルゼンチン人だったが、日本語が驚くほど流暢だった。二枚目の写真を撮るとき、「もういっちょー!」と元気な声で掛け声をかけるその姿に、僕はつい笑ってしまった。
夕陽が完全に沈むまで、その光景に見入った。どれだけ見ていても飽きることはなかった。
その夜、シェムリアップの街を散策し、面白いものを探した。スーパーに入ると、商品棚に並んでいたのはどれもユニークなものばかり。中国語と日本語が混ざった奇妙なパッケージのウルトラマンのおもちゃや、スパイダーマンの箱の中にスーパーマンが入っているものまであった。アメリカ版とフランス版のエナジードリンク「モンスター」も売っていたが、なぜか容量の多いフランス版のほうが安い。カンボジアという国の独特なカオスが、ここにも漂っているようだった。

夜も更けてホテルに戻ると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。その音に僕は思わず身構えた。疲れのせいか、「誰かが僕を殺しに来たんじゃないか」と本気で思った。慌てて枕を抱え、防御の構えでドアを少しずつ開けると、そこに立っていたのは泰だった。肩の力が一気に抜け、「なんだよ、お前かよ」と声を漏らした僕に、泰は首をかしげながら笑った。「何でそんな顔してるんだよ」と言われ、僕もつい苦笑いした。
翌朝、まだ空が闇に包まれた午前5時、僕は再びアンコール遺跡を目指した。街灯もまばらな真っ暗な道を進むトゥクトゥクのエンジン音が、静寂の中に響く。冷たい風が顔に当たるたび、眠気が徐々に覚めていく。太陽が昇る瞬間、あの荘厳なアンコールワットがどのような表情を見せてくれるのか。遺跡に到着すると、薄闇の中から一人の男性が声をかけてきた。最初は観光客かと思ったが、その流暢な日本語に驚かされる。聞けば、彼は現地ガイドで、日本語による解説の国家資格を持っているという。彼の話しぶりは温かく、それでいて知識の深さが滲み出ていた。「ここまで来たのだから」と思い、僕は彼に案内を頼むことにした。
ガイドさんに連れられながら、まだ薄暗い遺跡の中を歩く。やがて、地平線の向こうから柔らかなオレンジ色の光が差し始めた。広大な空が少しずつ明るみを帯び、アンコールワットのシルエットが浮かび上がる。その姿は、まるで天空と地上を結ぶ聖なる塔のようだった。五つの塔が天に向かってそびえる様子は壮麗で、神々が住まう場所と信じられていたのも頷ける。刻一刻と色を変える空の下、遺跡全体が神秘的な光に包まれていく。僕は息を飲みながら、その光景に見入っていた。

遺跡を歩き進むと、アンコールワットがただの観光名所ではなく、今もなお仏教の寺として息づいていることがわかる。石像には布の衣がまとわされ、僧侶たちが静かに祈りを捧げている姿が見られる。仏教寺院としての現役感と、ヒンドゥー教時代に築かれた歴史的背景が不思議な共存を見せていた。壁にはヒンドゥー教の神々を描いた精緻なレリーフが並び、その中でも特に印象的だったのは「乳海攪拌」の場面だ。神々と阿修羅たちが大蛇を引き合い、宇宙の海をかき混ぜるという壮大な神話を描いたこのレリーフは、来る前に読んでいた本で知っていたものだった。実物を前にすると、その迫力に圧倒される。「これか」と、心の中で小さくつぶやきながら、神話が現実と結びつく感覚を味わった。
その場でガイドさんは、アンコールワットがいかにヒンドゥー教の世界観を体現しているかを説明してくれた。さらに、クメール王朝の歴史やインド神話とのつながり、そしてこの遺跡が時代を経て仏教へと変容していった背景まで、実に多くのことを教えてくれた。その話を聞くうち、ここがただの石の集合体ではなく、長い歴史の中で信仰や文化が幾重にも重なった場所だということを実感する。
遺跡内には、ポルポト政権下の激動を思わせる大砲の跡も残っている。壮大な文化遺産が、その時代の争いから逃れることができなかった現実に、僕は胸が締めつけられる思いがした。
次に向かったのは、アンコールトムだった。この遺跡はアンコールワットよりもさらに大きく、なんとその面積は六倍にもなる。トゥクトゥクを使わなければとても回りきれない広さだ。アンコールトムは、クメール王朝の後期に建設されたもので、時代が進むにつれて仏教が主流になっていったことを示している。壁画に描かれているのは、ヒンドゥー教の神々ではなく、観音菩薩の顔や、当時の王の行列といった仏教的なモチーフだった。その変化は、日本の神仏習合を思い出させた。宗教や文化の混ざり合いは、どこの国でも自然に起きることなのかもしれない。
アンコールトムの修復作業を担当しているのは日本だという説明を受けた。日本人研究者たちがこの広大な遺跡を丁寧に維持し、次の世代へとつなげている。その努力と情熱を知ると、同じ日本人として少し誇らしく思えると同時に、この遺跡が持つ国際的な価値の重さを改めて感じた。
アンコール遺跡群で最後に訪れたのは、映画「ラピュタ」のモデルとも言われているタプロム遺跡だった。ここは、自然と遺跡が一体となり、独特の雰囲気を放つ場所だ。石造りの建物に絡みつく巨大な樹木の根。その姿は、まるで木が遺跡を抱きかかえているようにも見える。崩れかけた建物と、そこを覆う木々が織りなす光景には、どこか神秘的な力があった。生命の逞しさと、時間が積み重ねてきた圧倒的な存在感に、ただ立ち尽くすしかなかった。
石をも押し割る木の力に感動すると同時に、人間の作ったものが自然に飲み込まれる未来を想像した。人の時代が終わったとき、こうしてすべてが大地へと還っていくのかもしれない。それは悲しさでもあり、美しさでもあるように思えた。タプロム遺跡は、そんな感情を静かに心に刻み込んでくれた。
その日の午後、ホテルで休んでいると、電話が鳴った。高校時代の友人グループからだった。武部の大学合格発表を、僕たちはグループ通話で見守ることになった。僕はカンボジアにいるというのに、なぜか最も早く合否のページを読み込んだ。「番号、無くね?」とつぶやくと、その言葉がカンボジアの静かな午後に響き渡った。結果は不合格。武部の二浪が確定した瞬間だった。みんながそれぞれ微妙な沈黙を挟みつつも励ましの言葉をかける中、僕は武部のこれからを思い、エールを送った。
夕方、近くのレストランでフルーツを買った。せっかくなので、日本ではあまり食べる機会のないドラゴンフルーツとパパイヤを選ぶ。ドラゴンフルーツは甘さ控えめでさっぱりとしていて、暑いカンボジアの空気にぴったりだった。パパイヤは、メロンとマンゴーを合わせたような濃厚な甘みが印象的だった。果実そのものが太陽の恵みを凝縮したようで、口の中にトロピカルな香りが広がった。
夜には、アンジェリーナ・ジョリーが撮影時に通っていたというバーを訪れた。久しぶりに飲んだお酒は、旅の疲れをほどくように美味しかった。異国の夜の空気と、賑やかなバーの雰囲気が心地よく、しばし時を忘れた。
翌日、シェムリアップを案内してくれたサムと別れるとき、僕は日本の500円硬貨を渡した。バイメタルのデザインが珍しいらしく、彼は興味深そうに手の中で何度も転がしていた。「ありがとう」と笑顔で言う彼に、「こちらこそありがとう」と伝えた。サムとの日々は、この旅を特別なものにしてくれたと思う。
空港で出国手続きを終えたとき、ふと、おみくじの言葉を思い出した。
「全体的に、問題ないだろう。」
カンボジアの穏やかさと寛容さを象徴するようなその言葉が、僕の旅全体をぴたりと表しているように思えた。大きなトラブルもなく、それでいて心に残る何かが確かにあった。僕は、この地での出来事を思い返しながら、バンコクに戻る飛行機に乗り込んだ。