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アートとラブレター 映画「日日芸術」を観て
久しぶりの映画鑑賞。
観たのは、伊勢朋矢監督の「日日芸術」。アール・ブリュット¹を扱った作品である。
映画館は、CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)。
目の不自由な人も、耳の不自由な人も、おとなしく鑑賞をするのが難しい子どもも、どんな人でも映画を楽しめるように配慮・設計されたユニバーサルシアターである。
この映画館、とっても可愛くて、手作り感も感じられて、あったかい。
こういう場所で観れることも、うれしかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1716782458835-Zk9dvTmkuH.jpg)
(壁画制作・監修:根本 有華 写真はホームページより引用)
作品としては、ドラマとドキュメンタリーが一体となったような撮り方で、自分の内側にある興味に従って、創りたいものを夢中になって創り続けているアーティストたちの姿が映されている。
喋ることに困難を抱えていたり、けして理解されやすいとはいえない個性をもっているアーティストたち。
でも(だからこそ)彼らは、創りたいから創る。
そこに愛があり、やっていることに誇りをもっている。
動機が内側にあるという点で、真のアーティストである。
「興味のタネ」を自分のなかに見つけ、「探究の根」をじっくりと伸ばし、あるときに独自の「表現の花」を咲かせる人―それが正真正銘のアーティストです。
ある種、とりつかれたように創り続ける彼らの姿(セロハンテープのメガネを作り続けたり、毎日欠かさずコンビニで自分の顔をコピーしつづけたり)は、自然の脅威やさまざまな不安に抗う儀式のようで、神聖で、人間らしい、祈りの行為であると感じられた。
登場人物たちがパスカルズの楽隊に合わせて自由に生き生きと踊る(舞う)様子は、いまある常識を覆し、自分らしく、幸せに生きるための種がまかれているようだ。
しょうしょう変わっているとしても、自分の幸せをみつけられている人の表情は幸せそうで、充たされている。理解しようとしてくれる他者がいれば、なおさらだ。
誰にも侵害できないその人だけの幸せは、強く、輝いている。
そしてその輝きは、この映画に溢れている。
センセーショナルなものを目指そうとせず、目の前の人に向き合い、その中で語られる生の美しさに耳を澄ませる撮り方だからこそ、実現できたことだと思う。
アフタートークによると、この映画は、NHKでドキュメンタリー映像を撮っていた監督自身が、そこで撮影した1人の人物(小林伸一さん)の生の記録を残しておきたいという動機で動き出したものらしい。
具体的な1人の人物のために、自らの内側の動機で、なんとかして伝えたくて創るもののエネルギーはすごい、と思う。
それはラブレターのようだ。
(ちょうど、大河ドラマ「光る君へ」(21)旅立ち でききょう(清少納言)が中宮定子のために「枕草子」を書いた描写を観ていても感じたこと)
いつかこの場所で、目がみえなくても音や触覚で楽しめて、耳が聴こえなくてもみているだけでおもしろくって、年齢・世代を問わず、それでいてたったひとりのために、能動的にいま生きていることを肯定できるような、そんな作品を創って上映出来たらな。。。と思ったりする。
そしてその作品を通して、また別の居場所になったり、いままで繋がらなかったものの間を繋ぐ、そんな役割を担えたら。。。。
わたしにも、1つ夢ができた、気がする。
いまはぼんやりしているけど、ちょっとずつ、はっきりさせていきたい。
その積み重ねが、新しい現実(アート)を創っていくと信じて。
★補足 1.アール・ブリュット…フランスの画家ジャン・デュビュッフェにより1945年に提唱された芸術の概念。「生の芸術」という意味で、既存の美術や流行などに左右されず、衝動のままに表現した芸術をいう。