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あの雲に乗ればいいんだ

2015年に東京都美術館にて開催されたモネ展。
最大のお目当ては21年ぶりに来日するというsphere / syvyysに収録した『Impression ,soleil levant』のモチーフである『印象、日の出』だった。

言葉にすることを憚られるほど感動したのは事実。
しかし、一番記憶として鮮明に覚えているのは最晩年の作品。実にショッキングだったというか。
視力の低下に苦しみながら白内障の影響も感じさせるその絵には、痛々しさ/哀しさ、というとまた違う、そう、凄みがあった。

最晩年のモネの目が見ている睡蓮。
視力は低下していっても筆は止まらない絵描き。

あの雲に乗ればいいんだ

なんかかっこいい言葉で納めちゃったけど
それってどういうこと?って
言い放った本人がまずはその言葉の意味を考えている。
乗って見下ろした景色のことなのか?乗ること=自由に飛んでいたいという願望の比喩?

あまりガチガチに考える必要はないのだが時間があるので考えたくなる。

想像は劣化するのか?

目や…俺たちミュージシャンの場合は耳こそだけど
年齢と共に機能が劣化するものがある。
以前メニエールの話も軽くしたけど、こちらは実はそんなに影響は感じないのだけど、高域は残念ながら落ちていっている。
自分の中で聴こえている音と本来こうなってほしいという音を経験値でカバーしていってるわけだけど
最晩年のモネの絵は「俺が見えてるまんま描くわ」という凄みだった。

想像は劣化するのか?

まずは、ずいぶんと懐かしいところから聴きはじめている。
10代の頃聴いた音楽たちの中でも、メインで好きだったものや明らかに今に繋がる影響度…ではないサイド的なものたち。

ディープパープル、笑
ラウドネス、笑
もちろん当時は真剣に好きで聴いていたわけで
今に繋がる直接的な影響という意味では薄いけど、聴きだしてみると、ディープパープルにしろラウドネスにしろ、聴き出したらリフやフレーズ/ソロ(パープルはオルガンソロまで)、ソラで覚えてるわいなわけだけど、もしかしたら何かを溢れ落としているかも、と。

記憶は劣化するのか?

こういう振り返りも
あの雲に乗っていることなのかも。

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