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組曲Ⅲ 敗残の秋9

 東京の近郊には山が多い。なつめの虚弱さを普段から案じていた緒方は、丁度良い運動になるからと、仕事が休みの日には、たびたび郊外にある山へとなつめを誘った。舗装の行き届いた車道から、人の立ち入らない獣道へと紛れ込む。山中は街中よりも半月ほど季節の移ろいが早い。いきなり秋という新しい季節の真ん中へと迷い込んだ二人は、降り積もる落ち葉にすっかり覆われている山の斜面を、落ち葉や枯れ草を踏み進む、かさかさという自分たちの足音に耳を澄ましながら登り続けた。薄暗い森の中を乾いた風が吹き抜けると、その風に落ち葉が、枯れ草が擦れ合い、鈴のように乾いた金属的な音を立てる。踏む足音に、吐く息の音が重なり、絡み合い、規則的でありながらもそれでいて複雑な律動を作り出す。その終わりのない通奏低音のような律動に、いきなり楔を打ち込むかのような甲高い鳥の声が響いた。吹き抜ける強い風の音が耳一杯に籠り、その風が通り過ぎると、しばらく空白になっていた二人の耳に、再び自分たちの足音が、息の音がゆっくりと染み込むように滲み入ってくる。

 一体どこまで続くのだろう、まるで出口のない長すぎるトンネルのような薄暗い森の中をいつまでも歩き続ける。だが森の出口は唐突に現れた。そこから先は一面の草原だ。西に傾きかけた太陽から、溢れるように零れ落ちてくる光を受けた枯れ葉が、枯れ草が黄金色に輝き、その輝きが痛いほどに二人の目を刺し貫く。吹き抜ける風が地表に溢れ返る黄金色を一拭いすると、輝きの中から無数の鴉の群れが漆黒の影絵となり一斉に飛び去った。すっかり熟しきった大気が太陽の光と複雑に絡み合い、錆びたような深い赤を湛えた幾筋もの空気の帯を美しい模様のように空一面に描き出す。突然の強い風が、山に根を張るすべての樹木から奪い取ったかのような夥しい数の枯葉を空の高みに掬い上げ、その高みから一気に振り撒いた。金粉のような光を纏った枯葉が赤銅色の大気に夢のように舞い、きらきらと光を放ちながらゆっくりと落ちてくる。その華麗な落下に、緒方も、なつめも震えるほど怯えた。あまりに美しいもの、それは人を怯えさせる。その秋に、幾度もそんな情景を目にした二人はそのたびに怯え、そうして季節は少しずつ、少しずつだが確実に深まっていった。

 身に纏っていた秋そのもののような陰りがすっと消え去り、なつめの表情はいつの間にか澄み切った美しさを湛えるようになった。今、これから訪れるであろう新しい季節、その冬という透明な季節をそのままに描いたような一個の透き通る美しさとしてなつめはそこにいる。

 

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