見出し画像

組曲Ⅳ~冬の日のおとぎ話3

 私とアマンダ、くたばりかけた老人と遠い国から海を渡ってきた若い娘、この二人の不思議な関係を人にどう説明すればいいのかよくわからなかったが、特に説明しなければならない相手もいなかったので、それについては真面目に考える事もしなかった。そもそもなぜアマンダが私のようなくたばりかけの元に転がり込んできたのか、まあ、それには理由があった。簡単に言うならば、アマンダがそれまで住んでいたアパートの居心地が非常に悪かったからさ。日本に来てすぐの頃は、手に手を取ってこの国にやってきた友人二人と一緒に、三人で六畳一間のアパートに住んでいたんだ。いささか手狭ではあるが、どうにもならないってなほどではないだろう。ところが一緒に住んでいた友人が、二人とも男を作ったって訳さ。それぞれの男が転がり込んできたってんで、えっ?六畳一間に五人暮らし?しかもアマンダは元々が内気で、女友達三人の中でも何かと遠慮ばかりしていて、損な役回りを演じていたらしい。それがさらに二組のカップルと同居となると、うん、そうだね、やはり居心地が悪かっただろうね。私は六畳一間に五人の男女がジグゾーパズルさながらにひしめき合いながら暮らしているところを思い浮かべ、アマンダに広々とした寝床を提供したくて堪らなくなったんだ。私の家といえば、ええと・・・指折り数えて、一つ、二つ、三つ・・・そうだ七つも部屋があるんだ。さらにダイニングキッチンとやらもある。大王松などという偉そうな名前の木が二本も植えてある庭まで。そのだだっ広い家に私は一人で住んでいるのだった。

 さあ、これでアマンダは少なくとも大の字になって好きなだけ眠れる快適な寝床を手に入れた訳だ。しかしそれ以外にこの老人と暮らすメリットがあるだろうか?もしかして財産?ああ、そう考えるとたちまち私の心とかいうやつは、浜に打ち上げられたアメフラシみたいに縮み上がるのだった。もしアマンダが私の遺産ってやつをあてにしているのだとしたら、うん、本当に申し訳ない、そいつはもうほとんど残っていないんだ。雀の涙ってやつさ。若い時にちょいと稼いだ財産とやら、そいつは別れた女房、子供たちがすべて持ち去ってしまった。私がくたばった後、期待に胸を躍らせながら、私が残した通帳を開いてみて、がくんと肩を落とすアマンダの姿を思い浮かべると、ああ、ただただ申し訳ないね。ならばせめてこの日本にいる間だけでも、この家を自分のものと思い、せいぜい寛いで欲しいもんだね。

 

 いつの間にかレジ打ちの仕事を辞めていたアマンダは、有り余る時間を使って、甲斐甲斐しく私の世話をしてくれるようになった。まるで家政婦のように?いや、そんなつもりは私には毛頭なかったし、多分アマンダも同じではないだろうか。強いて言うならば妻のように?あるいは年老いた祖父を介護する孫娘のように?

 アマンダがここを自分の家だと思って、のびのび過ごせるようにとそう思った私は、アマンダが好き勝手に使えるように、ある程度の金をいつも台所のテーブルの上に置いていた。アマンダはその金で、われわれ二人分の生活費をやりくりしていたが、余った小銭でいろいろな物を、うん、私にはなぜそんな物が欲しくなるのか、到底想像がつかないようなガラクタまがいを次々と買い込んでは、ろくに言葉も通じない異国での暮らしから生じる憂さをささやかに晴らしているようだった。想像がつかないようなガラクタといってもそれはちょいとした装飾品だとか、玩具の類だが、私はそんな他愛の無い物で気が晴れるアマンダの事を少し切なく思った。

 ともかくアマンダは自分の好みの色をこの家に躊躇なく持ち込み始めたのだった。暗く、じめじめいて、何とも彩りのない日本家屋の至る所に、はっとするほど色鮮やかな物体が、例えば真っ赤なマグカップだとか、ちょいとセクシーな事を思い浮かべずにはいられなくなるような滑らかな曲線を持つ七色の花瓶だとか、他には何という名前がついているのかもわからない、ともかくぎらぎらした様々な原色で塗り固められた物体などなど・・・。朝起きて、部屋の空気を入れ換えようと、まず最初に開くのは、極彩色の大輪の花が溢れるほど一杯にあしらわれた深紅のカーテン、本棚の隙間には、多分何かの動物を模したものだと思うのだが、ともかく名前もわからない不気味な形のぬいぐるみの数々、そんなものがうようよと、まるで自ら湧き出してきたように家中のいたるところに居並び、私の頭蓋骨の奥にころりと転がっている、そろそろ干物みたいになりかけた脳味噌を大いに刺激してくれるのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?