組曲Ⅲ 敗残の秋11
なつめが緒方の前に現れるまでに一体何にどう失望させられ、家を出るに至ったのかは知らない。今は失意の底にいるかもしれないなつめでも、だがいつかは訪れると信じている、その両腕に抱え切れないほどの幸福を夢見る少女である事には違いはなかった。その一方で緒方の方はというと、最初からそうだったのか、あるいは出来の悪いすごろくのような人生を送っているうちに次第にそうなっていったのか、ともかくもう何一つとして幸せめいたものを抱え込む事ができないような臆病者に成り果てていたのだった。緒方にとって幸せは失くすために存在するようなものだった。その代わり緒方には、不幸という近しいものが存在した。白い壁に染まった汚れのように、いつか人の心に染み付いてしまう不幸、だが、その不幸というものは、ひとたびそれに馴染んでしまいさえすれば、それほど耐えがたいものではなくなってしまう。不幸、それが不気味な妖怪のようにべったりと背中に貼り付き、いつの間にか緒方は不幸と一つに、いわば不幸と込みになってしまっていた。
なつめは緒方の肩越しに自分の未来を見つめ、緒方はなつめの肩越しに自分の過去を探していた。そうして互いをまともに見つめ合う事など一度もなかったが、二人はその事に気づきもしなかった。二人はまったく逆の方向を見つめながら、たまたま乗り合わせた一艘の船で果てしのない海を漂い続けている、まさに滑稽な旅人たちでしかなかったのだ。
緒方はたちまち腑抜けた男に成り下がった。元々が薄っぺらなものでしかなかった日々の仕事への意欲が、今ではすっかりと消え失せ、すべてが投げやりになった。何という不甲斐無さ。だからといってもう自分ではどうする事もできなかった。緒方は他人に苛立つように自分に苛立った。なつめの方はというと、すっかり伸びやかさを失くしてしまっていた。なつめ自身がどう思っているのかはわからないが、ただ一枚の曇りかけた鏡となって、不甲斐のない緒方の姿をそのままに映していたのだ。二人は今にも割れそうな薄い氷の上をひたすら歩き続けているようなものだった。どこに向かって?いや、それがわかれは今の十倍は楽な気持ちでいられただろう。
それでも季節が変われば、今の二人にとっては果てしなく遠い先の事にしか感じられないが、例えば暖かい陽射しに気持ちが華やぐ春という季節になれば、あるいは目に映るすべてのものが生の力に満ち溢れた夏が訪れれば、そうなりさえすれば何とかなるのではないかという、その何の根拠もない希望に縋りつくしかなかった。だが、実際に季節はというと着々と厳しい冬へと吸い寄せられていた。次第に強さを増してくる寒さのせいか、終わりなく続く緊張のせいか、二人は一日中体を小刻みに震わせながら過ごしていた。そうしてあたりがすっかり冬という季節に呑み込まれてしまった頃には、くたびれた老夫婦のようになっていた。
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