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組曲Ⅲ 敗残の秋13

 それが悲しさなのか、あるいはまた別の名前を持つ感情なのか、それすらわからないまま、いやわかろうともしないまま緒方は泣き続けた。背中一面にべったりと貼り付いたぐしゃぐしゃな思いに胸を強く締め付けられ、耐えきれなくなった緒方は特急列車の座席に目を閉じたままじっと蹲り、駅の売店で買い求めたウイスキーの封を切った。涙は止め処なく流れ、流れた涙の分だけウイスキーを喉に流し込んだ。ぐずぐずに泣いている自分をふと馬鹿みたいだと思い、そんな自分の事を馬鹿みたいだと眺めているもう一人の自分が存在している間は多分大丈夫だろうと冷たく思った。特急列車の中でも、乗り継いだ在来線の中でもひたすら泣き続け、通夜の会場に着いた頃には、すっかり涙も枯れ果てて静かな気持ちになっていた。

 もう名前も思い出せないような古い友人、知人たちが手品でも見ているかのように次々と目の前に現れ、まるでそういう役割をこなすためだけに作られた機械のように、無機質な挨拶を繰り返した。気がつくといつの間にか、高校の時に仲の良かった数人の友人たちと、横に長いテーブルの前に胡坐を掻いて酒を酌み交わしている自分がいた。死んだ後輩を悼む言葉を囁き合ったのは始めの数分だけで、その後はただただ自分らの情けない現状を披露し合うだけになった。仕事がどうの、家族がどうの、一人一人が順番に、まるで百物語でもするかのようにぼそぼそと愚痴をこぼし合ったのだった。

 皆と別れ、しばらく街を歩いた。刺すような風の冷たさだけが、かろうじて自分を現実に繋いでくれているのだとそう思った。飛び込みで入った古いホテルに部屋を取り、ベッドに横たわると、またはらはらと涙が溢れ出てきた。そうだ、一人になったのだ、もう気持ちを抑える事はないのだとそう思うと、突然我慢できなくなったかのように思わず声が溢れ出た。その声は泣き声などではなく、まるで鳴き声だと思った。そうして虚空を抱きしめるようにベッドの上でしっかりと膝を抱いたまま、怪我した犬のように一晩中泣き明かした。

 

 葬儀を終え斎場を出ると、冬の到来を告げるように垂れ下がった灰色の雲が頭上すれすれのそこにあった。かつての友人たちと「またな」と別れの挨拶を交わし、その「またな」という時がいつか本当にくるのだろうかと心の中で訝しがりながら皆と別れ、緒方は一人繁華街の方へと歩いた。まるで一仕事終えたかのような淡い解放感に浸されながらも、実はもう一つ、この街でやらなければならない事があるのだと思い直していた。

 

 この街は山に囲まれている。僅かに開けた狭い土地に、無理矢理押し込まれたように存在する繁華街や、官庁街を抜けると、そこはもう山へと続く上り坂だった。その坂を上りつめた山の高台には、緒方がもう二十年も足を踏み入れていない家、幼い頃から、高校を卒業して、この街を出るまでの間、暮らしていた家がある。山頂に向かい急な坂を上ってゆくと、山の斜面を切り拓いて作られた住宅街に行き当たる。さらにその住宅街を越えると次第に家もまばらになり、家の代わりに冬枯れに沈む段々畑ばかりが目につくようになる。幾つもの畑を抱えている農家が山頂近くには数軒存在していたが、その中のひとつ、普段は人もろくに通らないような奥深い山中にある一軒家、そこで緒方は育ったのだった。

 実家と呼ぶべきであろうその家は、緒方の祖父母のものだった。幼くして父を亡くし、物心ついた時には母親とも離れ離れになっていた緒方は、祖父母に引き取られその山の中の一軒家で育ったのだが、高校を卒業し一旦その家を出てからは、もうそこに戻る事はなかった。仲の良かった後輩と会うためにこの街を訪れた時も、山の上にあるその家に立ち寄る事はなく、後輩の家に泊めてもらうか、あるいは街中に宿を取ったりもした。別に祖父母の事が嫌いだという訳ではなかった。ただ肉親というものが苦手だった。自分と同じ血が流れている人間との距離の取り方がわからなかった。そんな緒方が祖父母に対して何よりも有難いと思ったのは、思春期を迎えた緒方のために、かつては農機具を仕舞うために使っていた納屋を改築し、小さな離れを作ってくれた事だった。

 緒方がその家を出てから二十年以上の時が過ぎていた。その間にまるで風の噂のように、遠い親戚や知人からの便りで祖父が、さらにその数年後に祖母が亡くなった事を知った。今では住む者もなくなったであろうその家を、どうしても一度見ておきたかった。

 父親についての記憶はない。母親の事は微かに憶えてはいたのだが、緒方を引き取ってくれた父方の祖父母が、幼い子供を置いて姿を消した母親の事を良く言うはずもなく、いつの間にか緒方の中で母親とは、祖父母と上手く暮らしてゆくために記憶の中から消し去るべきものとなっていた。その一方で自分の母親を悪く言い続ける祖父母に、心から打ち解ける事などできるはずもなく、緒方は鬱々とした孤独感を抱え込みながら、多くの時を殻に籠るようにひとり、自分に与えられた離れで過ごした。

 親にせがんでサキソフォーンを買ってもらったものの、すっかり飽きてしまったという中学の同級生、その裕福な家に育った同級生からサキソフォーンを借り受けてからというもの、緒方の暮らしはすっかり変わった。毎日学校が終わると、そして学校が休みの日には、一日中サキソフォーンを吹いて過ごした。しだいに言葉を喋るよりもサキソフォーンを鳴らす方が、はるかに人に気持ちを伝えられるように思えてきた緒方は、ひたすら練習に没頭し、高校生になると街のジャズ喫茶に入り浸るようになった。人前で演奏する楽しさを覚えた緒方は高校を卒業すると、ジャズ喫茶で知り合った友人を頼って上京し、それ以来ほとんどこの街へ戻ってくる事はなかった。

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