組曲Ⅳ~冬の日のおとぎ話15
果たしてそれが体調の良し悪しによるものなのか、それとも他に理由があるのかは知らない。時折、体の奥底からすっかり忘れかけていた生の力が湧き出してくる時があった。一気に体温が10℃も上がったような気がして私は思わず立ち上がる。障子を開き、縁側に立つと、おお、庭中が色彩に溢れていた。雷にでも打たれたのかというような衝撃が体中に走り、くらくらと眩暈がした。庭を眺めながら、極彩色とはまさにこの事だと思った。庭中が金銀の葉を一杯に繁らせた植物で溢れ返っていた。さまざまな色の花弁を持つ花が、うねるような熱気を放ちながら咲き乱れている。その花々に誘われるように集まってきた鳥の数は千を超えていたが、皆それぞれに羽根の色が違っていた。赤、青、黄色、紫、緑・・・七色の鳥たち?いや、とんでもないたかが七などという数字で利くものか。そこに色は無数にあった。生い茂る松の葉の一本一本がすべて違った色を纏っていた。青、赤、緑の三原色に由来する事のない色が、たわわに実る果実のように、そこいら中に溢れ返っていて、私は慌ててそれらの色に名前を付けてやろうと試みたが、それは滑稽なほど無駄な努力だった。それらの色々は次々に混和を繰り返し、また新たに違った色を作り出す。私はその美しさに震えながら呆然とただ見ている事しかできなかった。
いや、この凄まじい風景を一人で眺めるなんてとんでもない。多分奥の部屋で昼寝をしているだろうアマンダを呼びに行った。アマンダを起こそうと勢いよく襖を開けると、毛布を体に巻き付けたアマンダが、鮮やかな十二単?二十四単?四十八単・・・ともかく豪華絢爛なお召し物に身を包み、しどけなく身体を横たえているやんごとなき姫君に見えた。おお、褐色の美しい姫君よ。
その時、私を包む世界のすべてはあまりに鮮やかだったが、もしかしたらその鮮やかさは、消えかかった蝋燭の炎が最後に見せる強い光のようなものだったのかも知れない。しばらくすると、ふっと日が翳るようにあらゆるものは色を失い、再び元のセピア色の世界の中へと沈んでいった。
そんな悦楽の時がたまに訪れ、私はそれを発作と呼んだが、その悦楽の発作が訪れる度合いは、週に一度、十日に一度、二週間に一度・・・次第にその回数を減らしてゆき、発作の起きている時間も短くなっていった。最初は小一時間ほども続いたその色彩の饗宴は七分、五分、三分・・・と短くなってゆき、ある日を境にすっかりなくなってしまった。そうしてセピア色という淡く頼りない色さえ失い、私の世界は完全に黒と白だけのモノクロームの風景の中へと沈んでしまった。淋しいかって?とんでもない。これでようやく心を乱すものが何もない静かな世界に落ち着く事ができるんだ。
弱り果てた自分の体に見合った世界を手に入れた私は、自分が完全に死の側に取り込まれてしまった時の事を考えて、アマンダに通帳の在りかや、銀行での金の引き下ろし方を説明しようとしたが、アマンダはそんな事にはあまり頓着してはいないようだった。もしかすると馴染みのない日本語を聞き続ける事に嫌気が刺しただけかもしれないが、いい加減に私の言葉を遮り「何トカナルヨ」と笑った。
他にも家や土地の権利書などの件もあったが、ああ、それはアマンダにどうこうできるような事ではないだろうね。私は私の死骸を囲んで、別れた妻や、出て行った子供たちが久々に一堂に会しているところを思い浮かべてみた。弁護士を囲んで遺産がどうの、相続がどうのと話が進み、アマンダといえば夕食時にいつの間にかこっそり入り込んでくる野良猫みたいにつまみだされ・・・うん、もはや私の与り知らぬところさ。やはり金に換えられるものはなるべくそうして、アマンダにはできるだけ多くの現金を渡してやった方がいいのだろう。
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