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組曲Ⅲ 敗残の秋14

 山頂から絶え間なく吹き下ろされてくる冷たい風に抗うように、今や切れ切れになってしまっていた頼りない記憶の糸を手繰りながら、かつて祖父母と暮らした家に続く道を辿る。目の前を移ろう風景に、思いがけない懐かしさが嘔吐のように込み上げ、その場に立ち止まる事もしばしばだった。時間を超えてそこに在る風景が次第に近しいものになってくるにつれ、脈絡もなく様々な記憶が頭の中で輪舞する。死んだ父、消え去った母、かろうじて記憶の片隅に残る幼い頃両親と暮らした小さな古い家。多分その家はこの街から、いやこの世からとうに消え去ってしまっているだろう。家族はおろか、かろうじてつき合いのあった親族の誰もが、もうこの街にはいない。街は訪れるそのたびに、自分の元を去り行こうとする女のように、よそよそしい貌を見せつけた。そんな街と、自分との間に横たわる深い溝を埋めるように、失われた過去の記憶を慈しみながら急な坂を上り続けた。

 かつてはこの山にぽつりぽつりと点在していた家々、今ではすっかり姿を消してしまったそれらの家々は、この深い山一面に生い茂る凶暴な植物群に呑み込まれてしまったかのように緒方には思えた。ただそれらの植物群も今は冬枯れの中、春という名の新しい季節の訪れを待って、じっと不気味に息をひそめている。最近では通る者もほとんどいなくなったのだろう、左右両側から迫り出してきた木々の、その枝に覆い隠されてしまいそうに弱々しく、かろうじて残っている細い坂道を、絡みついてくる老人の細い腕のような枯れ枝を払い、あるいはその下を潜り抜けながらゆっくりと上り続ける。人が捨て去り、すっかり荒れ果てた段々畑を風が吹き抜け、その手入れをする者もいない畑に生え残った枯藪から、乾いた音を立てて山鳥が飛び立つ。緒方は鳥が飛び去った彼方を目で追った。幼くして身寄りのなくなった自分を育ててくれた祖父母の家はもうすぐそこだ。

 

 懐かしい、いや、それよりも何か不思議な感じがした。辿り着いたそこには一対の門柱が、まるで何かを記るすために建てられた碑のように立っていた。かつて暮らした家、その門の前で緒方は呆然と立ち尽くす。すっかり錆びついていながらも鉄製の門扉は、二本の門柱の間に垂れ下がるように引っ掛かっていたが、その一対の門柱から敷地をぐるりと取り囲むように並んでいた生垣はすっかりなくなっていた。誰も通る事のない山道に面して立つ一対の門柱の、その寒々しさが何かとても滑稽なものに思えた。崩れ去った生垣の跡には、道と敷地との境をかろうじて示すように生い茂った丈の低い枯れ草が、傾きかけた晩秋の陽射しの中、黄金色に輝きながら風にそよいでいる。

 もうそこに誰一人住んでいない事はひと目で知れた。錆びた門扉に手を触れる事もせず、緒方は枯草を踏み越えて敷地に入り、祖父母が住んでいた母屋ではなく、子供の自分が暮らしていた離れの方へと歩いた。ぽつりとそこに佇む離れは、ただの崩れかけた掘立小屋か、物置にしか見えない。壁がところどころ崩れ落ち、破れた板の隙間から部屋の中が覗いている。入り口のサッシには鍵が掛かっていなかった。足元の硝子が割れているサッシ戸を、がたがたと音をたてながらこじ開け、一瞬迷った後、緒方は靴を履いたまま部屋へと上がり込んだ。思わず息が詰まり顔を顰める。部屋の中に漂う、何と言い表せばいいのかわからない悪臭に咳き込んだ。黴の臭い、物の腐ったような臭い、そして明らかに獣の臭いがする。急いですべての窓を開け放ち、淀んだ空気を入れ換えた。黒ずんだ畳は大きく波打ち、襖が開きっぱなしの押し入れには、すっかり表面を黴に覆われた布団が乱雑に積み重なって見えた。誰が何のために上がり込んだのか、煙草の吸殻や、空になったカップ麺の容器が散乱している。ところどころに落ちている乾いた土くれ、それは動物の糞ではないだろうか。勉強机はそのままにあり、引き出しを開けると、なぜか頁を開かれたままのノートが、それだけがその時のままに、長い忍従の時をじっと耐え抜いてきたかのようにそこに在った。

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