雑記5 鰻の寝床に住んだ記憶
東京で緒方と再会した。互いに電話を持っていなかったので、明治の文人たちのように葉書で連絡を取り合ったんだ。彼が時折舞台に立つという西荻窪のジャズ喫茶で落ち合った。緒方は主にフリージャズと呼ばれる、妙に尖った、正統的なジャズを好む奴らからは大いに嫌われるようなタイプの音楽にどっぷりと浸かっていた。当時は中央線沿線、高円寺から立川にかけて、そういう尖った、まともな人間なら中に入る事をおおいに躊躇するようなジャズ喫茶や、ライブハウスが点在していたんだ。
そこでいろいろな音楽家たちと知り合ったが、そのほとんどが緒方の事を大いに嫌っていた。すっぱりと縁を切った者もいる。緒方は、皆が自分の才能に嫉妬しているからだといったが、もちろんそうでない事を私は知っている。緒方と誰かの関係が拗れる理由、そいつは金だった。緒方は誰彼に借りた金を決して返す事がなかったんだ。そもそも借りた金は返さなければならないという発想がこいつの頭からは抜け落ちていた。
そんな中、私は緒方と金の事で揉めた事は一度もなかった。何故?もちろん私自身が緒方以上に貧乏だったからだ。一度、私の部屋に遊びに来た彼は、ひと目で私の経済力を見抜き、それ以来金に関する話を一言もしなかった。その頃、緒方は高円寺に、私は東武東上線の大山に住んでいた。結構離れているので、遊んだ後は互いに部屋に泊まる事が多いのだが、初めて私の部屋に来た緒方はどうやってこの部屋に二人の男が寝るのかを真剣に考えていた。
東上線の大山、一応住所は豊島区だったが、うん、一応東京23区内って訳さ。そこでの家賃は月五千円。安いって?いやいや、その部屋が尋常ではなかったんだ。二畳一間、その二枚の畳が何故か縦一列に並んでいた。その細長い部屋が四世帯分くっついている。各世帯の壁をぶち抜けば、大綱引きだってできそうな建物の形さ。何故そんな奇想天外な形をしているのかって?うん、聞いたところによると、元々は自転車置き場だったらしい。その鰻の寝床みたいな細長い土地に板切れを貼り合わせて拵えたそんな部屋に私は住んでいたんだ。もちろん便所は共同の汲み取り式。水道はなく手洗い場には、あれ、一体なんて名前なんだろう?天井からぶら下げたバケツみたいなやつの底に、くちばしが付いていて、そのくちばしを手のひらで突っつくと水が滴り落ちてくるやつ、とにかくその時代遅れの簡易給水タンクみたいにやつでぺちょぺちょと手を洗っていた。
一方、緒方の部屋はというと、もちろん便所は共同、風呂はなかったがそれでも四畳半の広さがあり、小さな流し場もついていた。正方形の部屋っていいなあ。夜は横に並んで、お喋りをしながら眠る事も出来た。うん、私の部屋で寝る時は、互いの足の裏を向かい合わせ、トランプの王様のような姿にならなければならなかった。顔と顔が大いに離れていた。お互いにいささか大きな声で、夜通し夢を語り合ったって訳さ。
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