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組曲Ⅳ~冬の日のおとぎ話2

 それから長い歳月を一人きりで過ごしたが、すっかり年老いて、片方の足を棺桶に突っ込みかけたその頃、単調ながらも静かな一人暮らしに、突然一人の女が迷い込んできたんだ。アマンダという名前と、ラピスラズリの瞳、褐色の肌と、漆黒の髪をもつその女は、ブラジル?チリ?エクアドル?ウルグアイ?パラグアイ?ハラグアイ?ともかく南米大陸のどこからかこの日本にやってきたというのだが、いささか耳が遠くなりかけている私には彼女の外国訛りが上手く聴き取れなかった。もしかするとその名前だってアマンダではなくアーナンダーだったかもしれない。だとすれば南アジアのあたりからやってきたってな事になるのだろうか。まあ、国籍などどうでもいいさ。肝心なのは一緒に暮らして快適なのかどうかって事だ。いや、特に快適ってほどでもなかったが、共に暮らすのに何の不自由もなかった。アマンダが時々作ってくれる、目から火が飛び出すほど辛い、彼女の御国の自慢料理を食べる事を辛いと思わないでもないが、それでもまあ耐えられないというほどでもなかった。膏を搾り取られるガマよろしく、顔中からたあらたらたらと脂汗を滴られながら、迷子になったガキみたいにすっかり涙目、そんな情けない姿で目にも鮮やかな唐辛子色の飛び切り辛い料理を喉の奥に流し込む。うん、単調な生活の中のちょいとしたアクセントみたいなものさ。文字通り生活の中のスバイスって訳だね。

 

 私がアマンダを初めて見たのは、いつも買い物をする近所のスーパーマーケットの中だった。彼女はその店でレジを打っていたんだ。そのスーパーマーケット、ずらり並んだレジでは、さまざまな国からやってきたアルバイトたちが接客をこなしていた。中国、韓国、ブラジル、メキシコ、スペイン、果てはルーマニア、ハンガリーなどの東欧諸国まで。まさに街のスーパーに集えし多国籍軍、その中で新参者の外国人アルバイトとしてレジを打っていたのがアマンダさ。その頃のアマンダは、まだほとんど日本語が話せないようだったが、それでも言葉も通じないはるか異国のスーパーマーケットで、果敢に仕事に励むその姿には、なかなか天晴れなものを感じた。

 その日、レジには長い列ができていた。順番を待つ私の前にも三四人、背後にもそれなりの人数が、じっと自分の順番が回ってくるのを待っていた。なかなかはかどらなかった。私が立っているその場所から見てもその女、アマンダのレジを打つその手際が良いとはお世辞にも言えなかった。列を成す客たちの苛立ちが次第に募り、彼らの眉間の間にくっきりと浮き出た皺や、聞えよがしの溜息がさらなる重圧となって、アマンダを圧し潰そうとしている。どこからどうみても焦っていた。何度もレジの操作を間違い、それでもようやく切り抜けたアマンダは、目の前の客にお釣りを渡しながら「アリガトウゴザイマス、二百六十八円のオ返シデス」と頭を下げた。ところが次の客には、言葉とは違った金額のお釣りを渡しながら「二百六十八円のオ返シデス」とだけ言った。そうして私の順番が回ってきた。私はアマンダから五百二十三円のお釣りと「二百六十八円のオ返シデス」という言葉を受け取った。どうやらパニック状態に陥った彼女の頭の中で「アリガトウゴザイマス」という言葉と「二百六十八円のオ返シデス」という日本語が入れ替わってしまっているようだった。意志の強そうや太い眉、引き締まった口元、そして精悍な顔つきをいっそう引き立てる褐色の肌、どこからみても凛々しいその姿と、間抜けな振る舞いとのギャップが可笑しく、私はすぐにアマンダの事を覚えてしまった。

 それから数日後の夕方、心地よく乾いた風に吹かれながら、ひとりで散歩を楽しんでいた私は、偶然出会った非番のアマンダについ挨拶の言葉を掛けてしまい、そのまま近くの居酒屋で夕食を御馳走する羽目になってしまった。単に出稼ぎだけが来日の目的という訳でもなく、日本のサブカルチャーとやらに興味があるというアマンダとの会話は思ったよりも弾み、それ以来たびたび二人連れ立って散歩をしたり、食事を重ねたりもした。そうこうしているうちにその女、いや、アマンダは、いや、もしかするとアーナンダーかも知れない、ともかくその女は私の家に転がり込む事となった。ああ、そうさ、良い老後さ。妻子が出て行った後も細々と続けた歯の治療で蓄えた僅かな財産と老齢年金を、異国の女とふたりで食い潰してゆく。少なくともまったく退屈ではないこの暮らし。ろくでもない人生の締め括りとしては上出来じゃないのかね。

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