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組曲Ⅳ~冬の日のおとぎ話4

 年老いて身も心もすっかり干からび、性欲ごときに振り回される事も無くなってしまった私だが、アマンダはこれまた甲斐甲斐しく私の下半身の御世話をしてくれようとした。まるで居候の義務だとでも言わんばかりに。しかしこの私といえば、一方的に何らか有難い恩恵を受けっぱなしでいる事を潔しとしない性格の持ち主だった。ならば私もお返しをと、かつては自慢の種だったいちもつこそ今では自由にはならないが、昔取った杵柄とばかりに、さあ元名歯科医師の底抜けに器用な指使いをとくと御覧じろと、アマンダのまだ瑞々しい肉体にせっせとご奉仕するのだった。もちろん子作りに励むなどという事は到底不可能だった。何しろこの私、とっくに男ではなくなっていたからだ。性、ああ、いったいそいつをどこに落っことしてしまったのか。折にふれ私の人生の舵取りを大きく狂わせてきた性の快楽ってやつは、私の体の中からすっかり消え去ってしまっていた。そういえば年齢とかいうやつ、確か七十歳を超えた頃までは確かにそいつを、その年齢ってやつをしっかり持ってはいたが、果たしてそいつを失ってしまってから一体どれぐらいの年月が経っているのだろうか。名前?うん、それも怪しいもんだ。最近では病院や銀行などに出掛け、そこで自分の名前を呼ばれても、果たしてそれが本当に自分のものだとは感じられなくなってきていた。そんな時には、ぼんやりと椅子に腰掛けたままの私に、親切な看護師が、行員が、呆け老人にそうするように、駆け寄ってきては優しく声を掛けてくれるのだった。「はいはい、おじいちゃん、今日は何の御用でちゅかあ?」ってなもんさ。

 アマンダはたどたどしい日本語しか話せなかったが、この私にしたってどんどん日本語が不自由になっていった。もはや日本語のたどたどしさならアマンダごときに引けはとらないぞってなもんさ。それでも言葉が使えない分、勘ってやつが働くようになるんだ。私とアマンダは、それぞれが勝手な言語で、夜が更けても、そうさ、いつまでも語り合ったんだ。そんなもんで互いの意思が通じ合うのかって?もちろんさ。それらしい表情を見せ合いながら話し合えば、言葉なんかわからなくったって心は通じ合うもんさ。

 

 家の中が次第に言葉では言い表しにくい状態になってきた。うん、筆舌に尽くし難いってのはこんな状態をいうんだね。最近、よく街中で見掛ける「無国籍風居酒屋」などと書かれた看板をぶら下げている、いささか奇想天外で悪趣味な店、その手の店を十軒分ほどもぶち込んだような奇妙奇天烈な家になりつつあるんだ。

 アマンダにはそれが故郷のジャングルの景色でも偲ばせるのか、事ある毎に観葉植物を買い込んできた。大きな植木鉢からにょきりと幹を伸ばしたそいつを、満面の笑顔で、額から滝のような汗をたあらたらたらと滴たらせながら抱えてくるんだ。名前も知らない、丈高い、おまけに村祭りの日に神輿の脇で青年団の若い衆が振り回す団扇のような巨大な葉っぱをびっしりと繁らせ、枝からはほどけかけたミイラの包帯のような蔓が幾筋も垂れ下がっているその観葉植物どもは、湿っぽい日本間に、はるか南の国に広がる密林の風情を持ち込んだ。

 それから畳の上に並べられたプランター。そこには一面に草が植えられていた。まさに犇めくという言葉さながらに一面にびっしりと植えられたくねくねと揺れ動く草、その草はたちまち狭いプランターから這い出し、占領軍さながら畳の上へと直に領土を広げ始めた。突然くしゃみをするように実がはじけ、そのたびにあたり一面に種子を振り撒くそいつらは、かつて私の家族たちが笑いさんざめきながら寛ぎの時を過ごしたお茶の間を、不気味な草原へと変貌させてしまった。

 頭上には縦横無尽、何本もの針金が通され、その針金にはあらゆる原色を用いて染められたアマンダのシャツや下着の類が干されていた。彼女の御国の習慣なのだろうか、アマンダは洗濯物を広げて干すという事をしない。適当に丸まった洗濯物の数々がまるで南の国にしか実らない極彩色の果実のようにいくつも頭上にぶら下がっていた。

 まるでアマゾンのジャングルのさながらに姿を変えてしまった我が家、その木々の間や、草の陰には不気味な木彫りの人形が、いちいち目を剥いて私の方を睨んでくるんだ。木彫りの人形?そうさ、たまたま家に近所に「珍古堂」という変な名前の古道具屋があって、そこの主人が一体どこから仕入れてくるのか、世界各地の薄気味悪い民芸品を店先に並べているんだが、アマンダはその店がいたくお気に入りで、たびたび出掛けてはそれを表すのに悪趣味というそれ以外の言葉が見つからないような人形を買い込んでくるんだ。その人形たちが部屋の隅々に身を隠すように潜んでいて、夜中、寝ぼけ眼で便所へ行く途中でたまたま通りかかった私を驚かし続けるのさ。私がそれらの人形の不気味さを訴えると、自分の祖父が優れた呪術師だったというアマンダは、「タダノ御土産物ダヨ。人ヲ呪イ殺スヨウナパワーハ持ッテナイネ」と楽しそうに笑う。

 部屋を閉め切っておくと、たちまちアマンダの体臭があたりに充満した。ああ、それはまさに動物の臭いさ。発情した動物が、異性を呼び寄せるために体中から撒き散らすあの臭い。まさに春先の動物園のような臭いで部屋の中は一杯だった。果たしてすっかり年老いた私に、この状況に耐える事ができるのかって?うん、実はよくできたもので、私の視覚や嗅覚はどんどん衰えている。衰えだって?いや、そいつは衰えなんかじゃない、変化さ。日々訪れる変化なんだ。二十代や三十代の洟垂れ小僧なら、あるいは四十代や五十代の中古の洟垂れ小僧なら、そんな日々の変化を、やれ老化だの、劣化だのと騒ぎ立てるところさ。でも今の私にとってそれは変化、しかも好ましい変化なんだ。視覚の衰えは年老いた日本人である私にはいささか刺激が強すぎるアマンダが好みの色彩から、嗅覚の衰えは欲情する必要がなくなった私を、アマンダの強烈な媚薬のような体臭から守ってくれる、いわば環境に順応するための進化だった。

 ともあれ別れた妻が愛し、大切にしていた日本情緒はことごとく浸食され、叩き潰されていった。目の前に湧き上がる不思議な異空間のような家の中の景色を眺める私?うん、上機嫌さ、何だかわくわくするね。だってさ、面白いじゃないか。

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